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三条ECが野澤正平元山一証券社長を講師に公開例会 (2003.6.20)
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三条エコノミークラブ(佐野庄市会長・120会員)は、19日午後7時から三条市中央公民館で公開例会を開き、山一證券(株)の最後の社長となった野澤正平さんが「社員は悪くありません!〜経営者として、人として〜」をテーマに講演、420人が聴講した。
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倒産から再起へと自身の体験を講演する野澤正平さん
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野澤さんは、昭和13年長野県生まれ。法政大学卒業後、山一證券(株)に入社。平成9年から11年まで同社代表取締役社長に就き、12年に(株)シリコンコンテンツ代表取締役会長、平成15年に大木建設(株)顧問に就任。山一証券の号泣の会見は、まだ記憶に新しく、経営者として倒産と全社員解雇を経験しながら再起をかけて行動し、現在も自ら営業の第一線で活躍する。
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会場では420人が聴講
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講演で野澤さんは、山一證券社長退任後に、会長を務めた会社のことから話し始めた。その会社ではインターネット電話の仕事で、若い社員は電話をかけることもなく、客への対応はすべて電子メールだった。
自分の経験とはまったく違う営業のスタイルを見せつけられたが、電子メールだけの対応によりいくつかのトラブルが発生。「メールはツールで、昔からやっているフェイス・トゥ・フェイスが大切」と営業の基本は変わらないことを話した。
実家は農家で高校卒業後は農業を手伝ったが、農閑期は飯場で現場監督。その3年間で「人の使い方」を学び、東京の大学に進学すると、今度は3年間のアルバイトで「人への仕え方」を学んだ。この6年間の経験が後に役だった。
和39年に山一証券(株)に入社し、昼夜を問わず働いた証券マン時代。その間、相手の気持ちになって本当に相手が喜んでくれるようなこと、よそとは違うやり方で信頼関係を築いていったこと、それに失敗談や自信につながったことなどをまじえて話し、経営者の心構えとその責任を説いた。
ゴルフのスコアは今も100を切らない。「お客さまより飛ばさないように、真っ直ぐ打たないように、パターも入れないようにしてきた。うまくなるわけないじゃないですか」と会場の笑いを誘うひとこまもあった。
たんたんとした口調ながら、テレビや新聞を通して山一証券の崩壊とその象徴となった野澤さん。来場者は明日は我が身、転ばぬ先のつえにと、メモをとる人もいた。
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