三条市は2日、福島県南相馬市から三条市内の避難所に避難している人のうち、福島原発から20キロ圏外で希望した17人の一時帰宅を行うとともに国定勇人市長も同行した。国定市長は先に米タイム誌の世界で最も影響力のある100人のひとりに選ばれてあらためて注目集めた南相馬市の桜井勝延市長と面会し、直接、桜井市長の思いや考え方にふれた国定市長は「本当に会ってよかった」と言い、ツイッターでも南相馬市の滞在時間で桜井市長との面会が「最も印象的だった」とつぶやいた。また、三条市の一時帰宅に続くように同じ日、燕市の避難所から帰宅者も南相馬市へ入った。
国が一時帰宅の明確な方針を示してこなかったため、三条市はこれまで一時帰宅を実施してこなかったが、政府が一定の方針を発表したのに伴っていち早く4月28日に「三条市の考え方説明会」を開き、三条市内の避難所で生活している人たちの一時帰宅の意向調査を行った。
希望した1世帯につき1人が、5月2日と3日の2回に分け、市が仕立てたバスで南相馬市まで往復。一部は2日のバスで南相馬市へ向かい、市内で1泊して翌3日のバスに乗って戻る人も。一時帰宅者の自宅や近所まで送迎できるよう、小回りの利くワゴン車1台も同行した。
2日は早朝、市内の避難所4カ所を回って参加者を乗せたバスが午前8時前に体育文化センターを出発。正午過ぎに救援物資の仕分け場所になっている市立石神中学校、続いて南相馬市役所向かいの南相馬市民文化会館「ゆめはっと」に到着し、親せきなどが迎えに訪れた。
迎えのない人はワゴン車で自宅へ。「ゆめはっと」では、先に三条市の避難所から市内へ帰宅した人たちも出迎えに訪れ、国定市長にあらためて三条市で世話になったことに感謝していた。
国定市長は、土田壮一建設部長とともに午後1時半から市長応接室で桜井市長と面会した。この日は午後3時から政府の東日本大震災「復興構想会議」が南相馬市を視察に訪れたが、その前の時間を使っての面会。面会した市長応接室の壁にはNPOの「夢と感動 勇気と希望を!! ガンバレ!南相馬!」とある紙や、一時は中止と伝えられながら一転してことしも開催に決まった同市の名物行事、国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」のポスターが張られていた。
まず、国定市長は忙しいなかで面会の時間をもらったことに感謝し、被災地の人たちを見舞った。互いにこれまでの状況や取り組みについて情報交換した。
桜井市長は、国が原発事故の収束に向けた工程表をつくったとはいえ、今も「明確にならない状況」には変わりなく、避難している人たちの受け入れなどで「まだまだお願いしなければならない」、「ぜひ、お力添えをいただきたい」と国定市長に引き続き支援を求めた。
これまで2万人以上がスクリーニング検査を受けながら除染が必要だったのは10人もなく、それも特殊な環境にいた人で、靴底の除線で足りており、風評被害を嘆く一方、国や県の対応に不満をもらした。
「現場感覚っていうのをわからない人たちが、官邸で机上の理屈を語ったところでわれわれには響かないし、逆に現実感ももたないわけですから。われわれの感覚で物事に向かってやらせていただいて、そこを支援してくれるという形をとってもらえれば何の問題もなくいくわけじゃないですか。だから主体がどこにあんのかって。主役はやっぱり現場の住民ですよ。その感覚を忘れてもらうと困るんだよな〜と」と、しだいに声の調子が高くなり、「現場を預かるものは一緒の感覚ですけどね」と同意を求めると、国定市長も相づち打った。
さらに、「いちばん困ってんのは住民だし、国がひとつ間違った方向性を出されると、われわれ職員がみんな疲労するんですよ。問い合わせが殺到して。苦情でしかられんのは職員たち、われわれ含めて職員たちがしかられるわけでね」。
同時に自治体との関係のあり方について、「われわれが主役になってやるから、国の方としても支援してもらえればね、問題もない。今回もね、まったく一時帰宅の問題でも同じですよ。自治体間同士の支援策がスムーズに、スピーディーにいくように、今までのように県に入って県同士でやってもらって自治体におろして、みたいな、そんな時間のかかることをやってる必要はないんですよね」と言えば、国定市長は「しかも伝言ゲームで全然違う情報にねじ曲がって新潟に伝わってきたりしますからね」。
全般には和やかな雰囲気で、三条市へ派遣している南相馬市職員について桜井市長の「三条市民になるんじゃないかと心配で…」に国定市長は大笑い。その職員はことしも7月23、24、25の3日間行われる相馬野馬追で、桜井市長が乗るウマを引く「馬丁(ばてい)」を務めるとのことで、「そのときまで戻ってこれないかも」と笑わせた。
最後に国定市長は「全力でサポートさせていただきます」と約束、桜井市長は「御礼にお邪魔させていただきます」とあいさつした。
面会後の取材で桜井市長は、あらためて国、県の対応の遅さを指摘し、今後は「国、県より先にわれわれのイメージを示して、それに対して支援してもらう」と待つのではなく、先手を打つ取り組みを示した。
福島第一原発から20キロ圏内が警戒区域になって立ち入り禁止になっていることには、「入れるんですよ。線量的には。警察がバリケードつくってるだけで」、「科学的根拠とか示さないまま、距離だけの線引きやっちゃうと漫画になっちゃいますよね。そこはずっと官邸の方にも言い続けてるんですけど」。
さらに、「具体的に、いつになったらそれを解除できるのかっていうことも市民に伝えていかないと不安だらけになっちゃう」。あとで聞いた話では、桜井市長の家も20キロ圏内とのことで、上からの目線ではない警戒区域に指定された地域の住民としての感情もあわせもつ。
ユニークな提案も披露した。「(警戒区域を)解除することを仕事として立ちあげて、解除する会社をつくったらおもしろい」、「逆手にとって、除染も含めて会社をつくるとか、そこに投資を招くとか、雇用をそこでつくりだすとか、会社が逃げ出すことを憂いているのでなく、新たな会社をつくったり、新たな事業を展開するっていうことが今一度、求められてるんじゃないかと思うので、そういうことに精力を注いでいこうかなと」。
桜井市長は、国や県に対する要望も含めて被災地の窮状を伝える動画を「YouTube」にアップロードしたことで、米タイム誌が世界で最も影響力のある100人のひとりに桜井市長を選んだ。それについて桜井市長は、「何をもって影響力があるというのか…」と困惑とも苦笑いともつかない、あるいは揶揄されているのでは勘繰るような、複雑な表情を浮かべていた。
国定市長は桜井市長についてツイッターで「1ヶ月半もの間、臨戦状態に身を置いているとは思えないほどの気丈さが印象的。」と書いたいように、面会後は余裕すら感じる桜井市長のバイタリティーに驚くと同時に、自分に置きかえて同じように行動できるだろうかと自問していた。
その後、一時帰宅した人たちが戻るまでの空き時間を利用して、国定市長は被災地を視察した。海岸まで延々と続くがれきや海岸から遠く離れた陸上に打ち上げられた船など、報道で何度も目にした被災地の風景を目の当たりにした。
車窓から「なんじゃこりゃ!」と目を丸くし、早いころに入所者を避難させるようすがテレビ報道された老人保健施設「ヨッシーランド」=原町区上渋佐北谷地=の前でぼうぜんと立ち尽くした。まさに言葉もなく、頭を垂れて黙とうするばかりだった。
ほとんどの地域が警戒区域に含まれる小高区へ向かって市役所から陸前浜街道を南下すると、鶴谷地内にバリケード。岐阜県警の車両が警戒にあたっていた。各地で建設が急ピッチで進む応急仮設住宅のようすも見学。7年前の7・13水害のときより仮設住宅の広さや品質が向上していることに感心していた。