三条市の避難所で26日昼、まもなく福島に戻る福島県南相馬市小高区のラーメンの有名店「双葉食堂」の店主など避難している人たちでラーメンを作り、世話になったお礼にと三条市長やボランティア、避難所の人など100人余りにふるさとの味を食べてもらった。
三条市の避難所のひとつ勤労青少年ホーム「ソレイユ三条」に避難していた双葉食堂の店主豊田英子さん(61)が、避難所で「世話になっているお礼に何か恩返しができれば」と話したのがきっかけだった。
その気持ちを聞いたボランティアの人を通じて、加茂市穀町「らーめん亭 大國」に協力を求めたところ、快く協力。スープを作る鍋やガスコンロなどの道具、麺など材料の調達、チャーシューやメンマなど具も提供した。
さらに同店を経営する(株)鴨川の佐藤晃一専務が、この日、麺をゆでる係を担当。スープは豊田さんの味付けで完成させ、盛り付けや配膳は避難所にいる人たちが手伝った。
ラーメンは、しょうゆベースの昔ながらの中華そば。「双葉食堂」は、豊田さんと避難している母イク子さん(85)が25歳(昭和26年)のときに始めた。夫は4年前に10年間の闘病生活の末に亡くなったが、その間も英子さんは夫を支え、地震発生までは5人の従業員と店を切り盛りしていた。ブログやインターネットの口コミでも話題を集め、地元の人は知らない人はいないという老舗の名店だ。
この日は朝から準備を始め、正午ころから順番に提供した。澄んだスープにチャーシュー、メンマ、ホウレンソウ、のり、ナルト、三条で購入したという包丁で切ったネギをトッピングした本格中華そば。ラーメン好きで有名な国定勇人市長も「おいしい」と指でオッケーマークをだして味に太鼓判だった。
地元小高区から避難している人たちにとっては、子どものころから食べていた人もおり、「懐かしい味、よく食べてたんだよ」、「福島で食べた味とおんなじ味だ」と日常を思い出して笑顔だった。
「小高では有名な店なんだよ」と話す人や、ふるさとではおいしかったときに言う言葉として「うまかった、べこまけた(馬勝った、牛負けた)」の声もあり、あちこちで笑い声がひびいていた。
豊田さんは、2か月余りぶりに作ったラーメンで「緊張しました、しょっぱいか甘いか」と味を心配していたが、「おいしいと言ってもらえて、うれしかった」。
ラーメン作りのために豊田さんらと一緒に準備した南相馬市の横山益子さん(64)は、豊田さんが世話になった人たちに「恩返しさせることができて、おいしかったと言ってもらえてよかった」と涙をこぼした。達成感の涙と説明し、津波で家が流されても泣かなかったのに、「初めて泣いたんだて」。「いい出会いをさせてもらいました」と、福島の避難所から一緒だった豊田さんのことなど、福島と新潟の2か月余りの避難所での生活を振り返った。
「双葉食堂」の店舗は原発から20キロ圏内のため戻ることはできないが、現在、南相馬市内の鹿島区に計画されている新しい商店街への出店の誘いがあり、その検討のため豊田さんは福島に戻ることにした。