三条市は28日、市内4か所の東日本大震災による避難所を避難者の減少や設備関係などに伴って再編し、冷房施設のない体育館を利用していた勤労青少年ホーム「ソレイユ三条」の避難所を閉鎖した。
「ソレイユ三条」は、避難者が減少したうえ、避難所に充てた体育館に冷房施設がなく、夏に向かって暑さが厳しくなるため、冷房のある体育文化センターに統合する。「ソレイユ三条」は3月16日から74日で避難所の閉鎖となった。
前日27日に12人が福島県南相馬市に戻り、同避難所に残ったのは20人。うち、18人が体育文化センターに移り、2人は閉鎖とともに自家用車で南相馬市へ戻った。
28日は午前8時に運送業者の4トンと2トンのトラック2台が到着し、荷造りしておいた荷物を積み込んだ。前日の福島に戻った人たちの見送りと同様、地域の人やボランティアなど数十人が訪れ、記念撮影もして別れを惜しんで見送った。
体育文化センターに移ったうちのひとり、自宅が警戒区域内で立ち入り禁止になっている南相馬市小高区の鈴木弘子さん(59)は、3月20日ころに三条市に避難した。障がいをもつ子どもとの避難だったこともあり、「優しい方がたくさんいて助かりました。みんないい人で」と感謝した。
「ここに来たときに最初に見たあの言葉がうれしかった。じ〜んときました」と鈴木さんが指さした先には、『三条市は 皆さんを 心から応援します!』の張り紙。「わたし、あの下で寝ていたから毎日、見てました。『心から』の気持ちがとってもよかった」。
津波で10人以上も知人を亡くした。いまだに一時帰宅もできないいら立ちや、つらい気持ちも話した。自宅の壊れた屋根を雨漏りしないように直してほしいと願い、「何年後になるかはわからないけど、家に戻る日のために、いちばん先にやってもらわないと」言う。
鈴木さんが地震発生まで務めていたNPOほっと悠「就労支援センターほっと悠Ms」は、6月の再開を目指している。鈴木さんはいったん、体育文化センターに移動するが、近いうちに南相馬市に戻ることにしている。
避難所に飾られていた千羽鶴とトキの写真をもらった。「トキやツルがはばたくように、ここを出発点にして頑張っていかなくては」と自らにいい聞かせるように話していた。
また、同施設の地元の老人会「熟年 いこいの会」の上石会長(77)と、避難所の班長としてまとめ役となり、この日、南相馬市に帰る横山邦彦さん(69)は、別れのあいさつをかわした。上石会長「お名残惜しいけど、早く帰って自分たちの生活ができるればいい。あなた方の気持ちが、いちばんだからさ。引き留めたいところだけど」、横山さんは「楽しい思い出をつくっていただいて、ありがとうございました」と話していた。
体育文化センターへの移動は、市のワゴン車2台に分乗して移動。南相馬市に帰る人は自家用車にたくさんの荷物を積んで、それぞれ9時半過ぎに出発した。
7・13水害を経験した地元の人たちは、当時の市内避難所の閉鎖とは状況が違うことを知っている。7・13水害では、避難所の閉鎖は復興のため、被災した人たちの新たな生活のためのスタートの一歩を意味した。
しかし、いまだに収束しない原発事故の深刻な影響下にある人たちは、復興のめどが立たないのが実情。旅立つ人の気持ちを考えると手放しで喜べない複雑な思いで見送る人もいたようだ。