ケンオー・ドットコムは昨年12月7日、東京の虎ノ門ヒルズで開かれた「ヤフー検索大賞2016」で、新潟県部門賞を受賞( http://www.kenoh.com/2016/12/08_yahoo.html )した記念として、25日、三条市・越前屋ホテルで祝賀会・交流会を行い、130名もの関係者が集い受賞の節目を祝った。
冒頭のあいさつで佐藤雅人代表は、「ヤフー検索大賞を受賞したのも、ひとえにご協賛をいただいている皆さま、取材に対応していただいている皆さま、そして読者の皆さまと、大勢の皆さまのおかげ」と、感謝の意を述べると、ケンオー・ドットコム設立からの流れを振り返り、普段は語ることのない思いを語った。
「最初の記事は2000年9月3日に行われた燕市長選挙で、当時の高橋甚一市長の2期目の当選だった」と、当時の記事をプロジェクターに映し、「当初は月に20本足らずの記事の掲載だったが、しだいに県央地域のニュースサイトに形を変え、今では月に150本から200本の記事を掲載。通算した記事の数は約2万本で、それが今もすべてアーカイブとしてサイト上に保存され、閲覧できる」と、新潟県県央エリアのニュースタンクであることを自負。
テレビ局のプロデューサーからも、県内のテレビ局が燕三条地域を取りあげる機会が増えているが、そのネタ元をたどっていくとケンオー・ドットコムであることが多いと言われたエピソードを紹介し、「ケンオー・ドットコムは燕三条の地域情報のプレスリリースとしても一定の役割を果たしていると思う」と話した。
17年間で最も強く記憶に残っていることとして、最もアクセスの多かった三条市で起きた2004年の7.13水害を振り返り、「おびただしい量の情報が寄せられ、とてもすべてを発信できる状況ではなかったが、人命や財産にかかわる情報を第一に優先順位をつけ、情報を取捨選択して発信し続けた」と、ネット配信のメリットを最大限に活かし、人々の安全を守り、命を救うために、公共的役割を果たそうと努めたというケンオー・ドットコムに対する思いの一端を語った。
続けて、自身で進むべき方向性を定めたというケンオー・ドットコムのミッションを紹介した。
「同じことでもその人や物との関係で受け止め方が変わってしまうことがある」と前置きをしたうえで、「例えばまったく縁のない人が素晴らしい実績を上げたときに、ともすれば、ねたみそねみといった感情が生まれることがあるが、親友だったら心の底から素晴らしい実績をともに喜びあえるはず」と持論を展開し、こうした感情は共感できるかできないかにあるのではないかと結論付け、「市民の多くが共有できる魅力を一つの核として示すことができたら、地域の一体感がより強固なものとして醸成されるのではないか」と、ケンオー・ドットコムが単なるニュースサイトではなく、“つながりの深いコミュニティー”を生み出すための役割があるとの考えを示した。
また、「こうしたコミュニティーは都会で求めることは難しく、地方で暮らすことの大きなアドバンテージであり、地方創生のキーワード。また、こうした共感を呼ぶ情報発信を通じて燕三条地域のシティープロモーションにも貢献できるはず」と力強く語った。そのミッションがこちらである。
「ケンオー・ドットコムは、地域の情報を拾いあげて共有し、共感を呼ぶことで地域の人と人とをつなぎ、主体的に活動しようとする人たちをサポートし、地域の包摂性の向上に貢献します。」
祝賀会・交流会の翌日、筆者のFacebookはケンオー・ドットコムのことで埋め尽くされていた。そして、多くの人がこのあいさつに感激したと投稿をし、それぞれの置かれている立場で思い思いにその感想を語っていた。奇しくもこの現象は祝賀会・交流会に出席をしたそれぞれの人達をつなげ、さらなる共感を生み出すこととなり、まさにケンオー・ドットコムが掲げるミッションの通りになっていたのが印象的であった。
祝賀会・交流会はその後、国定三条市長、鈴木燕市長の来賓あいさつの後、佐藤雅人代表の友人らによる生演奏のライブへと移行し、スノーピークの山井太社長も歌声を披露。音楽と笑顔に包まれ、多くの共感とつながりが生まれた素晴らしい祝賀会・交流会となった。
(梨本次郎)