越後最古の名刹(めいさつ)をうたう新潟県燕市国上の国上山山中に建つ国上寺(山田光哲住職)が今春、本堂に「イケメン官能絵巻」を設置、公開した。燕市教育委員会では本堂は燕市の文化財に指定されていることから速やかな原状回復を求めているが、国上寺では本尊の開帳が終わる来年5月までは撤去しないと断言し、平行線だ。
国上寺は和銅2年(709)の創建。国上山は越後の禅僧、良寛が五合庵で晩年を過ごした良寛ゆかりの地としても知られる。本堂は昭和53年(1978)に「国上寺本堂 附境内地」として分水町文化財に指定され、分水町が燕市に合併すると燕市の文化財に移行した。
上杉謙信、源義経、弁慶、良寛、酒呑童子が露天風呂に
本堂にイケメン官能絵巻を設置し、ことし4月19日から無料公開している。制作したのはイケメンをモチーフに日本画を描く木村了子(きむら りょうこ)氏。国上寺所にゆかりのある上杉謙信、源義経、弁慶、良寛、酒呑童子が全裸に近い姿で露天風呂につかったり、竜に乗ったりする姿を描いた大作を本堂の四方の壁の外側に設置している。あわせて「イケメン偉人御朱印」も用意した。
作品の設置には賛否両論ある。文化財の変更にあたる、作品の性的な描写が不適切と言う人もいれば、SNSなどで拡散してネット上では評判を呼び、国上寺へ見学に訪れる人もあり、中国でも話題になっていると言う。
6月21日に行われた燕市6月定例会の一般質問でタナカ・キン市議がイケメン官能絵巻について質問した。燕市教委によるとイケメン官能絵巻の設置について事前に原状変更の許可申請はなかった。作品は本堂の内側から木ねじを使って固定してあり、燕市文化財保護条例が定める原状変更にあたるとして原状変更の申請手続き何度も口頭で求めたが申請がなく、6月14日付けで行政指導の文書を出した。
文書では、6月28日までの申請手続きすることと、原状変更の許可の可否が出るまでの間は元の状態に戻すことを求めており、「(国上寺の)動向を注視している」とした。
条例では文化財の棄損や損壊は5万円の罰金又は過料と定めている。木ねじを使った行為が棄損や損壊にあたるかどうかは「判断がまだつきかねている部分」で、「今後、顧問弁護士と相談する」とした。
7月12日に燕市文化財調査審議会が開かれるが、タナカ氏は「とんでもない破壊行為」と指摘し、「あなたたちはその文化財を守る立場の人でしょ。審議会だって7月12日?。何を考えてるのか」と批判した。
あんなものを子どもたちに見せるのは忍びない
さらにタナカ氏は、作品について「“官能”の意味は性的刺激を受け入れる働き」と辞書から引用。6月8日に燕市で全国良寛会燕大会が開かれ、国上寺も見学先のひとつのバス見学会も開かれた。タナカ氏は、当日の国上寺は住職が不在で代わりに小学校5年生の女の子たちがガイドボランティアを務めており、「あんなものを子どもたちに見せるのはとても忍びない」。
ネットで「官能絵巻」を検索すると「エロAVが入ってる。官能絵巻で。例えばもし子どもさんがこれを見に行って官能絵巻を探した時にそんなとこまでいく可能性があるってこと」、「あれが半裸の美少女だったら女性の団体が即座に大抗議する」、「春画のほうがまだマシだと思ってる人がいる。私もそうだと思う」と国上寺と行政の対応を批判した。
本堂へ行かないよう小学校長に配慮を求める
燕市教委によると現在、地元の3つの小学校が遠足などで国上山へ行っているが、本堂には入っておらず、各学校には本堂の方に行かないよう各学校長に指示している。遠藤浩教育長は「私としても文化財にそぐわないであろうという認識」で、「国上寺は社会学習のいい教材として子どもたちが見に行く場所になっている。それについては各学校に、行く直前に配慮しなさいと指示をしている」と答えた。
一方、国上寺の山田光哲住職(52)は「(本堂は)いち法人のものなので、教育委員会が全部、維持、管理できないわけで、だったら簡潔に(文化財の指定を)外していただいた方がいいのでは」とはねつける。文化財指定には「こちらからお願いしたこともない。逆に指定の解除をしてほしい。これから改修とかいろんなことをするにあたり、いちいち杓子定規に申請書を出していられない。わたしも忙しい」とまったく申請に応じる気はない。
寺を存続させるための仕掛けをもがいてやっている
来年4月から5月にかけて本尊の開帳をがあり、「5月まで外す気はない。まだまだいろんなことを仕掛けていくにあたり、どれだけ暴れられるかということ」と批判は意に介さないどころか、ますます意気軒高。性的な描写についてもそもそも「絵巻は、木村氏特有の妖艶な画風で描かれており、セクシーなイケメン偉人達が交わり女性本能を刺激」とPRしている。「アートですから。(受け止め方は)十人十色ですから」と山田住職はいろいろな考え方があることを否定しない。
山田住職は「法人をどうやって有名にして次の代に渡せるかが、私らの役目。30年後には2分の1以上の寺が淘汰される時代のなかで、存続させるための仕掛けを今、私がもがいてやってる。次のこともいろんなことをしていくなかで、行政うんぬんかんぬんに頼らずにどれだけ自分でできるか。ここ20年くらい蓄積してきた部分を世間も見てもらえる時代になった」と話している。
(佐藤)