元幼稚園教諭で「輝喜(きき)」の屋号で着物の着付けなどを手がけていた新潟県三条市の藤井キヨ子さんが胆管細胞がんのため24日、亡くなった。81歳だった。「上町(かんまち)のねえさん」とも呼ばれて、幅広い活動で世代を越え、多くの人たちに親しまれた。
70代後半でC型肝炎感染がわかり、2023年に肝臓にがんが見つかって手術を受けた。その後、通院を怠っていたが、子どもの強い勧めもあってことし3月に検査を受けたところ再発していることがわかった。
レーザー手術を受けて約2週間で退院したが、のちにがん由来の脳こうそくになっていたこともわかった。その後、新たに胆管細胞がんが発症し、抗がん剤治療を続けていた。
5月20日に主治医から手の施しようがなく、余命1、2週間と告げられた。それから病状は急速に悪化し、6月8日の誕生日を迎えられずに24日午後0時18分に息を引き取った。
藤井さんは旧町名で上町の本町1に生まれ育った。地元の松葉幼稚園、三条小、第一中、県立三条東高と進み、東京・白梅学園短大で幼稚園教諭の資格を取得。卒業すると松葉幼稚園に就職し、1984年まで20年間、教諭として勤務した。小学校教諭だった夫の春男さんは10年前に78歳で亡くなっている。
その後は、近畿日本ツーリスト三条支店に勤務して郵便局のかんぽの会の旅行を担当したり、燕市や西蒲区の呉服店で働いたりした。
2011年ごろから出張もする着付けの「輝喜」を個人で開業。仕事では「藤井喜世子」を名乗った。亡くっなてからも仕事や預かっている和服の問い合わせが続いている。生涯、現役だった。
ほかにも中小企業経営者を対象とした商売交流組織「守成クラブ」の燕三条地域のメンバーの一員として活躍した。木目込み人形も手がけ、三条祭りでは代々、上町の子どもが担当する鷹匠(たかじょう)の着付けを担当した。
三条凧(いか)合戦では地元「上町五郎組」を手伝い、「三条音頭」と「三条おけさ」の踊りの普及に努めた。17年には少年補導員として三条警察署長から感謝状を受けた。渡辺秀央代議士や菊田真紀子代議士の事務所を手伝ったこともあり、社会性の高いさまざな活動に参加した。
それ以外にも地元の行事や集まりにも積極的に顔を出した。世代や立場を越えて誰とでもすぐに打ち解けた。幼稚園教諭だったころの教え子と一緒に夜の街へ繰り出すことさえあった。
歌舞伎や仕舞が好きで、年に何回か東京へ歌舞伎を見に出掛け、地元の宝生流の会の仕舞にも参加した。
「巨木が倒れた。わたしたち子どもを守ってくれる木だった」と長男の埼玉学園大学教授・大輔さん(50)。「好きなことをやってた。子バカかもしれないが、実年齢より10歳は若く見えた」、「振り返れば人を喜ばすのがずっと好きだった」。
亡くなって写真を整理していると、コスプレをしているような写真も多く、「写真を見返すとついつい笑顔になってしまう」と話している。
28日午後5時半から6時半まで一般弔問、7時から通夜、29日午前10時半から告別式、11時半出棺。会場はいずれも善地院月岡式場(三条市月岡1-7-40・0256-35-0051)。