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[合併問題]長いドラマは始まらなかった…が(2001.1.20)
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失望感。燕市議会の合併推進協議会設置否決の報を受けて最初の印象だ。そう、あのときに似ている。加藤紘一を主役とした先の自民党のドタバタ劇の顛末(てんまつ)だ。加藤紘一氏はその動きに先立って「長いドラマの始まり」という魅力的な言葉で国民の期待感をあおった。しかし、ふたを開けてみれば、内閣不信任案に反対のはずが、欠席。膨らむだけ膨らんだ期待は一瞬にしてしぼみ、以前にも増して国民の政治全体に対する期待感までしぼませてしまった。
今回の合併協議会設置に当てはめると、主役はやはり燕三条青年会議所だろう。合併問題が初めて公的なまな板の上に上がることになり、長引く不況で沈滞ムードにある両市民にとって、合併に対する賛否はともかく、明るい兆しを感じさせる動きではあった。
内閣不信任案では結局、加藤紘一氏本人が幕引き役となったが、合併推進協議会でのそれは燕市議会だった。いずれにしろ、先の自民党内紛劇と同様、「長いドラマ」が幕を開ける前にドラマがキャンセル。後味の悪さだけが残った。
しかし、時間がたつにつれて今回の顛末は悲観することばかりでもないように思えるようになってきた。高橋三条市長は「今までの苦労は無駄ではない。無駄にしてはいけない」と話したが、その通りで、決して無駄にならないのではないだろうか。
仮に合併推進協議会が設置され、市民レベルでの盛り上がりを欠いたままトントン拍子で進み、市民不在で上滑りのまま両市が合併、というシナリオを考えると今回の挫折は、あながち悪いことばかりではない。
合併推進協議会設置の否決は、両市民の合併に対する関心を高めたのは間違いない。結果的には、市民の関心を喚起することとなったと見ることができる。燕市議会が無記名投票にしたうえでの否決。各メディアが報道でにおわせたように、これで燕市議会の反対の大きな理由のひとつが、市議自身の保身であることが図らずも明らかになった。これも燕三条青年会議所の一連の運動があってこそ、初めて白日の下にさらされたことを忘れてはならない。
こう考えると白紙に戻ったとはいえ、合併問題全体の流れとしては、白紙に戻ったこと、そのこと自体が「長いドラマ」の第一幕だったのではないだろうか。自民党の内紛劇とは違い、期待感をすべて失ったわけではない。
両市がにこやかに合併を論議するテーブルにつくという、あまりにも平凡過ぎる序章にはならなかったが、観衆の予想を見事に裏切るドラマチックな幕開きだった。今後の展開に身を乗り出さずにはいられない。ただ“泥沼の”とか“意地の張り合い”とかいった、醜悪な形容詞のつくドラマだけは願い下げだが。
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