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総裁選小泉候補の演説会で田中真紀子氏来県-2(2001.4.23)
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田中真紀子氏
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小泉純一郎氏
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「今は小泉候補、勝っておりますけれども、明日また、永田町でガチャガチャガチャガチャ、始まるわけですよ。そこでどんでん返しがないなんてことは、言えないのです。したがって最後の最後まで、今、集まっておられる方々は自民党以外の方もおられる、百もわかってますよ。ですけど、みん〜な、日本に、そうして世界中に生きている恵まれない人たち、困ってる人たち、その方々の心の痛み、悲しみ、喜び、それに応えられるような日本をつくるんです。今、扉が開き始めています。新しい風がもうすぐ吹き込んできます。日本の政界、永田町の淀んだ空気がなくなって、この閉塞感がなくなって、やっぱり政治は信頼するに足りるものだ、私たちの夢を実現するものだと思っていただくために私たちは、こんなになりふり構わず頑張っているんです。ウチの子どもたちが、どうもまたウチの“おてんば”のママが現れてきて、テレビつけても真紀子さん、地下鉄の中吊り見ても真紀子さん、ママはおてんばだな〜と、言っています。父は私のことをかつて、真紀子はカナリヤ党だと言いました。失礼しちゃいますね。このカナリヤ党のおてんば娘を説得できなければ、お父さんは政治家が務まらないと言ったんですよ。ちょっとやそっとじゃですね、へこたれませんから」と巧みに父、田中角栄氏の影をちらつかせた。
先の故小渕首相に対する問題発言で2日間、自粛したばかりだが「随分、地雷も埋められたし、落とし穴もやられたし、狙撃手が生玉1個射ってやろうと、ずっと狙っていました。ですからね。そう言うときにはですね、ちゃんと私も真剣に、冷静に落とし穴に落ちないように、ちとばか弓がかすったろもさ」。
最後に「これからまた、気をつけますけれども、そうした中で、こうした産みの苦しみをへて、新しい夜明けが来るんです。時代のページを皆さんが開けてくださったんです。もうちょっとですから、ぜひ、ぜひ、小泉純一郎候補を信じてください」と支援を求め、それではお待たせしました、いよいよ本物、トキはトキでも“とっとき”のトキでございますから、ぜひお聴きください」と小泉氏にマイクをつないだ。
グレーのスーツに赤いネクタイの小泉氏は、学生時代にスキーのために本県を訪れた印象を“ロマンチック”と表し、続けて「今度の総裁選はロマンチックとはほど遠かったけれども権力闘争の一面がありますから、ドロドロした醜い争いもたくさんありました。真紀子さんもちょっと口を滑らせると、すぐ、けしからんと言って党規委員会にかけるとか言ってね」と、今回の総裁選こそが自民党の体質であることを示すとともに、田中氏をフォロー。
まだ、総裁が決まったわけではないとしながらも「だいぶ、あちこちいじめられましたが、私は今回の全国の党員投票、これほどドラマチックになるとは誰が予想したでしょうか」と、大きな変化が生まれたことを強調した。
また、総裁選出馬を決めた経緯についても「小泉が総裁選挙に出馬するのかどうかという、まだ始まる一週間くらい前から、真紀子さんから『小泉さん、何ぐずぐずしているんですか。今回は立ちなさい。出馬しなさい。早く決意しなさい』と何度も発破を掛けられました。叱咤(しった)激励をいただきました。なかなか決意を表明できない状況が続きましたけれども、『もし小泉さんが立候補するなら、私が応援しますから。絶対、勝たせます。一緒にこの自民党を変えなきゃ、日本が潰れます』。ド迫力のあの激励に、私も圧倒され続けておりました。」と田中氏が背中を押してくれたことを話した。
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帰りの車に向かう真紀子氏を支持者が囲む
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お茶の間でおなじみのレポーターの姿も
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「派閥あって党なし、党あって国なしという政治を何と変えてくれという国民の声を真紀子さんとともに、これからも政治生活のなかで生かしてかなきゃならない」と、田中氏の閣僚入りの期待とも受け止められる、今後の協力体制についても言及した。
最後に田中氏は小泉氏に紅白の花束を渡して「3回目はもっと大きい紅白をお届けしたいと思います。」。さらに「次は内閣総理大臣としてきっと戻ってくると思いますし、そのために頑張り抜きますので、よろしく最後の最後までご声援ください」と締め、田中直紀氏の音頭で「ガンバロー」を三唱、30分で終わった。
平日の日中にもかかわらず、小泉氏と田中氏を一目見ようという人たちで、街宣車の道の歩道は歩くのもままならないほどで、人気の高さを象徴。“真紀子さん”ファンか、年配の女性が目立った。
田中氏はそうした期待に応えるように、演説の途中で「お父さん、ちとばか静かにしろ。今から酒飲んでんじゃねんだろオメエ」、窓を開けて手を振るドライバーに「ありがとうございます。安全運転で」と気さくに声をかけていた。
このあと長岡市へ移動し、午後1時から長岡駅前でも街頭演説を行った。
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