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三条信用組合が「三条島ノ城跡」の記念碑建立、贈呈(2001.5.22)

三条市興野3、三条信用組合(板垣征吾理事長)は、同組合の創立50周年記念として三条市上須頃地内の三条競馬場入り口わきに「三条島ノ城跡」の記念碑を建立、三条市に寄付するのに伴って22日、現地で贈呈式を行った。

現地で行った贈呈式

板垣理事長、永塚光雄教育長、先々代理事長の新飯田栄一さん、記念碑の文字を書いた地元の書家、荻根沢小帆さんら15人が参列。神明宮の三上行雄宮司がお払い、玉串を捧げたあと、テープカットと除幕も行った。

石碑の除幕

石碑は高さ1.75m、幅1m、奥行き30cmのみかげ石で、全体的には石の板といった形で、高さ25cmの土台に載る。表に「三条島ノ城跡」の字句を大きく、その下に由来を刻んだ。

今の三条競馬場の場所は「三条島ノ城」があったと伝わる。 直木賞作家、海音寺潮五郎作「天と地と」が昭和44年(1969)、NHKの大河ドラマで放映され、上杉謙信が三条島ノ城を打ち破ったくだりが市民の耳目を集めたことから同じ年、同組合はここに高さ4mの木の記念柱を建立した。この記念柱も荻根沢さんの書を刻んだ。

みかげ石の石碑

また、三条市・法華宗総本山本成寺が収蔵する戦国時代の古文書の中に、天文12年(1543)、当時14歳の長尾景虎(後の上杉謙信)が書いた所領安堵状があることから、本成寺では謙信400年法要を行い、海音寺潮五郎も列席したという。

同組合では、本成寺の了解を得て安堵状を布に印刷し、緑川玄三さんが書いた文章を荻根沢さんが書いた説明書を付けて記念品として、県内外の謙信ファンなどに贈呈した。

それから、32年、4mあった記念柱も移築の影響で半分の高さになり、老朽化で基礎の部分が腐ってきた。平成11年3月、市民から「競馬場脇の記念柱が老朽化している」と三条市役所に連絡があり、市教育から同組合に記念柱の建て替えを要請。同組合では、記念柱を後世に伝えようと、来年度の同組合創立50周年の記念事業として、記念碑を建立、合わせて三条市に寄贈した。

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32年前の記念品

板垣理事長は「先輩たちが築いてきた50年の中で、記念碑の建て替えができたことをうれしく思っています。もう30年以上もたっていますが、市民の方の中であの記念碑を建てたのが三条信用組合だと知っている方もおりました。きょう22日大安に贈呈式を行えたことは大変喜ばしいことです」と話していた。



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