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三条市と三条凧協会(山浦日出夫会長)では2、3の2日間、田島橋上流の五十嵐川右岸河川敷で三条大凧合戦を行っており、初日2日は風が強く、青空に吸い込まれるように三条名物の六角凧が舞い上がり、空中戦を繰り広げた。 三条凧合戦の起こりは江戸時代の慶安2年(1649年)、村上藩の陣屋が三条に設置されたとき、陣屋の子どもたちが上げる凧を見た鍛冶屋の子どもたちが、遠くから姿を見せずに凧を高く揚げ、空中で相手の凧糸を切って日ごろのうっぷんを晴らしたのが始まりとされる。 町内や同業者などを母体とする24の凧組が参加。競技は川上側と川下側に紅白に分かれて色の違う組の凧と合戦し、空中で相手の糸を切ると2点、凧を落とすと1点の得点。2日間の合計得点で競っている。 2日は風が強く、凧を揚げるのに苦労はいらなかったが、自在に凧を操って巧みに糸をからめるのが名人の技。しかし、強い風で凧を動かすのは難しく、名人芸の見せ場は少なかった。 得点を積み重ねるには、次々と糸をからめて合戦の数をこなすのも重要なポイント。凧が揚がると、まず味方同士で糸がからめやすい場所を奪い合い、糸をからめてからは腕と経験で凧を操り、勝負を決める。真剣勝負は、ときにはケンカに発展することも。 揚げ師の男性は「今は、口で言い合うことがほとんどで、言い合いが始まると審判たちが止めに入ります。昔は、なぐり合いもあったと聞きます」と話す。 凧の糸が相手の糸にからまると「よーし!」「行け、行け」「早く、早く」と、かけ声をかけながら引っ張り、相手の凧の糸が切れると一斉に歓声をあげた。見物客も、シートの上に腰を降ろして空を見上げる家族連れや、腕を組みながら合戦の様子を見つめる男性など、思い思いのスタイルで楽しんでいた。 糸を切られた凧がくるくる回転しながら落ちていくと「危ない!」「ぶつかるよー」「逃げて逃げて」と大きな声で揚げ師たちに教えていた。 最終日3日は、同じ場所で午前9時半から午後4時まで合戦を行う。合戦以外も午前11時から一ノ木戸小学校児童による凧ばやし、100枚ド以上の大凧上げコンテスト、全国各地・国際交流の凧揚げ、優勝あてクイズ、抽選で小凧のプレゼントなど、盛りだくさんなイベントを行うので、大勢の見学を呼びかけている。初日2日の得点結果は次の通り。
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