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昭和38年、三条市を襲った記録的な大雪、通称“三八豪雪”の記録映画に8月28日、死去した元三条市長、金子六郎氏の貴重な映像が残っている。その金子氏が映っている一部分を QuickTime Movie でお届けする。
平成6年9月に67歳で死去した三条市のフィルムコレクター、小林敬一氏(当時37歳)が8ミリカラーフィルムで撮影、約37分に編集したもの。 映画は「昭和三十八年一月 三條市は古今未曾有の大豪雪に見舞われた。その積雪量は四メートルをはるかに越えてもなお降りやまず、全市窒息寸前の危機に至った。人々はその豪雪とよく闘った。来る日も…来る日も…今日も又…。豪雪の中に生きる強い人間の姿である」という、ドラマチックなテロップで始まる。 県内の豪雪のように雪ですっぽりと埋まった三条の町の姿から、今も語り継がれる電線をくぐって歩く市民、氷屋のように雪をのこぎりで四角く切り出して背負って運ぶ市民。雪で水もがまったく見えなくなった五十嵐川や雪の重みで倒壊した家屋などを収録する。 当時のフィルムの性能では、雪が降る鉛色の空の下の撮影の発色は悪いが、当時の動画記録は珍しい。フィルムが後世に残ることを考えて、看板や駅などの目印を巧みに画面に収めており、1月28日から2月19日まで日ごとに記録するとともに撮影日も映し込んであり、記録映画としての価値は揺るがない。 金子六郎氏はその最終日、2月19日に登場する。金子氏は当時43歳で三条市長。豪雪の応援のため三条市に派遣された自衛隊員らを東三条駅前で市民とともに見送る場面だ。 まだ木造の駅舎前を「自衛隊の皆様有難うございました 三条市」とある横断幕が飾り、防災服を着た金子氏は市民を背に自衛隊員に向かい、敬礼。拡声器のマイクを握り、感謝の言葉を述べていると思われるが、音声は収録されていないので内容まではわからない。 金子氏の映っている部分は全部で4カット、合わせても10秒ちょっと市長だったので金子氏を撮影した写真は多いが、もちろんビデオカメラはなく、8ミリカメラもほとんど普及していなかった時代。貴重な金子氏の動く映像は、三八豪雪を体験した世代には懐かしく映ることだろう。 映像はここをクリックし、しばらくたつと自動再生する。ブロードバンド用はここ。再生には「QuickTime Plugin」が必要で、インストールしていない場合はここからダウンロード、インストールする。 ■Copyright (C) kenoh.com Allrights Reserved. |
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