三条市内の鍛冶職人でつくる「三条鍛冶集団」(岩崎重義代表)は4、5の2日間、島根県飯石郡吉田村で同村の児童、生徒を中心にアジ切り包丁の製造の出張指導を行っており、“たたら製鉄”が絶えた同村に三条の鍛冶の技を手ほどきしている。
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三条鍛冶集団が島根県飯石郡吉田村で三条の鍛冶の技を出張指導
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一行は、(株)タダフサの曽根忠一郎社長を団長に三条鍛冶集団師範10人、市、会議所、地場産から1人ずつの13人が参加。三条からコークスを燃やす火炉(ほど)、スプリングハンマー、研磨機などを先に輸送し、一行は3日に飛行機で吉田村へ向かった。
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焼き入れ前の土塗り
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スプリングハンマーによる鍛造もメンバーが手をとって指導
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参加者の英国人男性
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「三条鍛冶道場」の看板を掲げて道場開き
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鍛冶体験者は吉田村が広報誌等などで募ったおとな12人と中学生以下の子ども32人の計44人が参加。英国人や隣接する山口県の家族の参加もある。
村立吉田中学校わきに張ったテントが特設会場。テント前に「三条鍛冶道場」と書いた看板を掲げ、鍛冶集団のメンバーは、そろいの赤いTシャツを着て参加者に焼入れや鍛造を指導している。
初日4日はあいにくの雨降りだったが、半袖の参加者もコークスの炎の前では額に汗をにじませていた。参加者は手で包丁を研ぎ上げて作業は終了。研ぎあがった包丁に、師範から名前を切ってもらい、木柄を付けて完成した。
吉田村は砂鉄が採れ、中国山地の豊富な木を生かして古来から砂鉄を鉄にする“たたら製鉄”による日本の和鉄生産の中心地として栄えた。
しかし西洋から近代製鉄技術の伝来とともにたたら製鉄は衰退し、今では吉田村に産業としてのたたら製鉄は絶えたが、伝統の製鉄技術を文化的に継承しようと昭和61年に鉄の歴史村宣言を行い、(財)鉄の歴史村地域振興事業団を設立した。
三条の刃物の鋼の鉄は昔、北前船が出雲から安来を通って三条に運ばれ、三条で荷を降ろすと今度はコメを積んで帰ったことから、吉田村との交流の存在も想像される。
そこで吉田村では、鋼がどのような形で刃物になっていくかを地元の子どもたちから体験してもらおうと、技術指導の依頼先として三条市、そして三条鍛冶集団に白羽の矢を立てた。
同時に三条市でも昨年秋、同市で行われた刃物サミットで産地間の交流を深めてお互いのイベントに参加しあうことが話し合われ、交流事業として市の予算に100万円が計上されたことから、その一部を今回の出張指導に充てて実現した。
■関連リンク
吉田村のホームページ
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