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三条エコノミークラブ(高橋幸治郎会長)は、20日午後6時半から県央地域地場産業センターで公開例会を開き、東京都墨田区向島、岡野工業株式会社の岡野雅行さんを講師に「やってやれないことはない〜ちいさくても大きな経営戦略」をテーマに講演を聴いた。 同クラブ会員のほかに一般の聴講者など900人が参加した。講師の岡野さんは1933年生まれ。岡野工業株式会社を設立、金型製造からプレス、製造までを一貫して手掛ける部品メーカーに育てた。 従業員は6人だが国内外の大手企業から開発の注文がひっきりなしに舞い込む年商6億円の企業。大手企業と対等に渡り合う町工場としてマスコミに数多く取り上げられている。 岡野さんが開発したものは1980年代後半に深絞りによる携帯電話の小型化を可能にした電池ケースの開発、同じく携帯電話のバイブレーターのモーター、マイクやスピーカーの網状の金属の加工など数え切れない。 “代表社員”と名乗る岡野さんは、事業化の経緯や開発までのいきさつなどプライベートな話やジョークを交えながら、生っ粋の江戸っ子の語り口で話した。 岡野さんはサラリーマンの経験がなく、学校卒業と同時に父が経営する金型会社に就職。「私はね、おやじを失脚させて社長になった。その時、おやじと取引のあったお客さんにはみんな来るなと言った。そしたら今度はおやじが得意先にせがれには仕事を出すなと言って回った。もう、やれるものならやってみろですよ」と、型破りな社長交代劇を話し、「でもね、おやじが死ぬ前、“よくやったな”と始めて褒めてくれたんですよ」。 また、岡野さんの2代目の経験から「2代目はものすごく大変。1代目が外注さんをいじめて大きくなったから2代目はいじめられる役になっちゃう。これは2代目の宿命」。 会社がよくなる秘けつは「最初に井戸を掘った人、つまり最初に世話になった人を大切にしないと絶対に会社は伸びない。ふだんつきあっている人でも“これだ!”と思った人は育ててやった方がいい。もうかりすぐて不幸になった人をたくさん知っている。もうかったら別荘とめかけはもたないこと」と冗談まじに話した。 株に興味がない岡野さんは「私の職業から見ると景気はよくならない。なぜならば私が開発すると人がいらなくなるからね」と、自身を景気低迷の悪役という見方も示した。 岡野さんは実際に開発した商品を見せて説明したり、大きな声と身ぶり手ぶりで講演。聴講者は岡野さんの話に笑う場面を多かったが、開発の話しに及ぶと自分自身の仕事のヒントにしようと真剣な表情で聞いていた。 |
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