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spacer火災で亡くなった小笠原氏は燕市の政治、経済に貢献spacer(2003.1.14)

14日未明に発生した白山町2、化学製品卸売業白鳥化学(株)の火災で見つかった遺体は、同社代表取締役の小笠原重三さんであることが確認された。80歳だった。小笠原さんは、これまでに燕市議や燕商工会議所副会頭を務めるなど、燕市の政界、経済界に貢献した。

火災で亡くなった白鳥化学代表取締役小笠原重三さん

火災で亡くなった白鳥化学代表取締役小笠原重三さん

小笠原さんは大正12年生まれで、金沢薬剤専門学校卒業、薬剤師の免許を取得。昭和23年に白鳥化学を創業し、42年9月に法人化した。

昭和33年6月の燕市長選に出馬し、田巻甲氏に340票ほどの小差で敗れたが、42年に燕市議に初当選。54年4月まで3期12年を務め、52年3月から翌53年3月まで副議長、53年3月から54年4月まで議長を務めた。

また、昭和38年から平成4年まで30年間、燕商工会議所議員を務め、昭和44年7月から53年8月までは小柳泰爾会頭=燕振興工業(株)=のもとで副会頭を務めた。

小笠原さんを知る人は「面倒見がいい人で、弁も立つし政治好きだった。選挙では味方にすれば強い存在だが、敵にしたら怖い人だったと思う。健康のために朝、散歩をしている姿を見かけた。夏場は4時か5時ころに出かけて8時ころ帰宅していたようで、吉田辺りまで行くこともあったよう。最近まで漢方薬などの健康の講演会で講師をして九州や北海道などにも出掛けていた。同年代の人と比べても健康で元気な方で残念です」と惜しんでいた。