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燕市・中野助役が市議会の市長選出馬要請を正式辞退(2003.11.17)
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燕市の高橋甚一市長辞職を受けて行われる燕市長選挙に市議会(赤塚功議長・20人)の全議員一致で出馬要請を受けていた中野邦雄助役は17日、自身が適任でないことや合併推進の立場であったことを理由に要請を辞退した。
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燕市長選挙の出馬要請を正式に辞退を伝えた後、会見する中野邦雄燕市助役
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中野助役は「市長選出馬要請に対しての辞退について」と題した文書を手に午前9時55分ころ議長室を訪れ、赤塚議長と大岩勉副議長に辞退の意向を伝え、15分ほどで退室した。
その後、会見して「熟慮に熟慮を重ねてご返事した」、要請を受けてからの間、多くの市民や個々の議員、業界関係者からも出馬を望まれたことは「身に余る光栄」と話した。
辞退の理由は主に3点で、ひとつは市長の職責の重さを考ると気力、能力、人格において適任ではないと判断したこと。ひとつは今回の要請条件で「合併問題は住民投票条例の結果を尊重し吉田町との合併協議を進めること」とあったことについて、高橋市長とともに県央東部の推進役の1人であったことか将来、県央東部を推進する自身への支援者を敵に回すことになりかねず、本意ではなく、合併なくしては自身の能力では市政運営に自信が持てないこと。そして、もうひとつは政治の世界に身を置くことに家族、親族の賛同を得られないこと。
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硬い表情で議長室を出る中野助役
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中野助役は「全議員の皆さん方、正副議長さんから強い要請を受けました。議会が一本化でまとまってお願いするということは歴史上なかったことかな。それだけ厳しい情勢下にあり、ここで選挙戦はしたくないと言う意見は十分わかりましたけれども」と市議会の要請を理解した。
しかし、「高橋市政を支え、予想もしない退任の結末を助役としての立場で見届け、いまだに心の整理はできない状況であり、判断を冷静にやれるところではない。また、私自身が事務職員として42年余り勤勉を一途に5氏の市長に仕え、幸いにも財政課、商工課という立場上、市長と行動をともにすることも多くありました。そういうなかで市長の職責の重さ、4万市民にいろいろな面で市長と言われる器量をもっていられた。市長になられる方たちはそれぞれが気力、能力、人格を持ち合わせていた。そういうのを考えたとき、私は適任でないと判断した」と話した。
また、住民投票条例案の結果を尊重し、吉田町との合併協議を進めるとあった要請条件については、吉田町との合併は早急に両市町で話し合いに入れば特例法期限内に方向性を見い出せると思うと考えを示し、「今でも県央東部に吉田町が入ることによっての町づくりを今でも夢に思っている」とした。
しかし、「住民投票条例第3条の重みは無視できないと行政職員として理解している以上、それらの県央東部に強く志向をされている私の支援者を将来的に敵に回すことになりかねず、また、今回の要請事項とも異なる」、さらに単独では「財政を知っているだけに、私の能力では市政運営はできない」と適任者ではないとくり返した。
また、市長候補者には「将来の方向性を見いだせる強いリーダーを考えていただきたい」と期待した。中野助役は高橋前市長の退任の意向を受けたときからの意志として12月議会終了時に退任する意向を明らかにした。
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