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3、4日と燕市で「昭和の語りかけ」作品展(2004.4.4) |
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昭和からの語りかけ作品展実行委員会は3、4日の2日間、燕市総合文化センターで「昭和からの語りかけ」作品展を開き、マチュア写真家、捧武さん(71)=燕市中央通り4=の写歴50周年記念写真展と併せて、一年間に相次いで亡くなった捧さんの親友2人の遺作を展示している。
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3、4の2日間、燕市文化センターで開かれている「昭和からの語りかけ」
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展示は、捧さんの作品と、新制燕中学校時代から57年来の親友で昨年4月に亡くなった野島勉さんが昭和30年代の撮影を中心とした写真、ことし1月に亡くなった清水収作さんの俳句など合わせて70点余り。
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捧さんのコーナー
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捧さんの作品は、第2回林忠彦賞を受賞した写真集「田園の微笑」から捧さん自身が全倍サイズに引き延ばしたモノクロ作品20点。捧さんが写真を始めた20歳から40歳くらいまで撮りためた昭和30年代から40年代の県央地域を中心とした県内の農村風景や人々の暮らしを撮影している。 坊主頭やおかっぱの子どもたちが田植えなどを手伝う姿や舟遊びをする姿、馬や牛のいる農作業の風景、越後瞽女(ごぜ)など。今では見られなくなった貴重な記録作品だが、捧さんは「残そうとは思っていなかった。いい風景をと、がむしゃらだった」と振り返る。
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野島氏の遺影と愛機も展示
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遺作の展示となった野島さんは燕市のスポーツ振興に貢献した人で、写真については昭和32年「燕フォトグループ」の創設に参加。社会派的アマチュアカメラマンで、燕市発足当時から洋食器関税引き上げ反対運動、三八豪雪、新制中学の担任でもあった玉木初代燕市長など全紙サイズ40点を展示。
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清水さんのコーナー
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清水さんは西蒲土地改良区で燕支所長など農業関係のリーダーとして活躍する傍ら、昭和63年に俳句集団「春嶺」に入会、平成5年に「海嶺」入会、7年に「第2回海嶺新人賞」受賞するなど俳人としてすぐれた文化人だった。色紙など15点を展示している。 来場した当時を知る人は「懐かしいねえ」と話しながら、作品をじっくり時間をかけて鑑賞している。捧さんは、昭和初期の作品は撮影した人も年配者となり、フィルムを焼くことも難しくなっていると話している。
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