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5月5日まで三条市資料館で遺跡発掘調査速報展2004(2004.4.6) |
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三条市歴史民俗産業資料館(羽賀吉昭館長)では、6日から5月5日まで同資料館で「遺跡発掘調査速報展2004」を開いており、昨年度、三条市内で行われた遺跡発掘調査の成果を展示、公開している。
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5月5日まで三条市歴史民俗産業資料館で開かれている遺跡発掘調査速報展2004
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昨年度、調査した遺跡は井栗地内の藤ノ木(ふじのき)遺跡、下保内地内の吉津川(よしづがわ)遺跡、白山新田地内の谷内(やち)遺跡と白山(しらやま)B遺跡の4カ所。ここで見つかった遺物をはじめ、遺構の写真や解説パネルを展示している。
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吉津川遺跡の周溝をもつ建物跡の航空写真(地表から1.5mの中面)
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4カ所とも三王山古墳群のある丘陵から北側に位置する。発掘調査では、大和政権とのつながありのある人物の存在を補強するものが次々と明らかになった。
吉津川遺跡では、古墳時代前期の村の跡が地表から1.2m、1.5m、1.8mの3面で見つかった。注目されるのは、建物を囲むように掘られた周溝と、その内側にある7mから8m四方の方形をつくる主柱の柱穴。器台(きだい)や高坏(たかつき)、彩色古墳にも使われた朱の顔料「ベンガラ」、玉類の材料の緑色凝灰岩(りょくしょくぎょうかいがん)の石材も出土した。
この建物は各面で1棟だけがほぼ同じ位置と規格で建てられていることから、村のなかでこの建物が中核的な重要な施設であったと推測される。
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藤ノ木遺跡の筏地業の跡の原寸大の拡大写真
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藤ノ木遺跡では、平安時代初めに建てられた米倉と思われる建物跡が見つかった。柱根とそれを支える基礎部分が出土したもので、1辺1.2〜1.4mの柱穴に長さ80cm前後の木をいかだ組みして基礎とする筏地業(いかだちぎょう)が施されていた。この工法を用いた遺跡は全国的にも珍しく、県内では初めて。
また、16基の柱間は約2.1m、広さは約36平方mあり、この時代までの倉としては県内最大規模。しっかりした基礎や広さから米倉と推定される。会場では原寸大に拡大した写真も展示している。 藤ノ木遺跡は三条市文化財に指定されているフジの巨木が立つ「万葉の藤」に隣接する。平安時代に編まれた律令の施行細則のようなものの『延喜式』にある“伊久礼神社”は、同遺跡を含む井栗の神社を指すとされ、万葉集に詠まれた「万葉の藤」は、同所であること可能性がさらに高まったと言える。
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白山B遺跡で見つかった灰釉陶器
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ほかにも、吉津川遺跡では生活していた配置のまま出土したと思われる土器のセット、谷内遺跡では煮炊き用のかめや高坏、白山B遺跡では高級な灰釉陶器(かいゆうとうき)のつぼや字を書くことのできる人がいたと思われる底に文字が残る須恵器(すえき)などが見つかっており、周辺で今後も続く発掘に期待が膨らむ展示になっている。
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吉津川遺跡で生活していたままの配置で出土した土器のセット
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また、10日午前10時半から同資料館で展示説明会を開き、発掘担当職員が説明し、疑問に答える。申し込みは不要で、参加したい人は当日、会場へ出向く。展示は午前9時から午後4時半まで、毎週月曜と月末日は休館。問い合わせは同資料館(電話:0256-33-4446)へ。
■関連リンク
三条市歴史民俗産業資料館
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