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7・13水害からちょうど1カ月で盆の墓参り(2004.8.14) |
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盆の墓参りの13日、三条市7・13水害から1カ月がたった。水害の被害にあった三条市曲渕2、真言宗高福寺(牧野俊雄住職)では、朝から墓参りの家族連れなどが訪れ、泥水につかった墓をきれいにしてから先祖の霊に手を合わせていた。
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13日、高福寺の墓参り
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1カ月前の豪雨とはうって変わり、この日は最高気温32.7(三条地域消防本部調べ)、快晴の夏空が広がる猛暑だった。
午後から同寺へ墓参りに訪れた曲渕1丁目に住む家族連れは、自宅は幸い、被害を免れたが、墓地は泥水に沈んだ。墓の汚れは少なかったが、泥まみれになった周囲の玉砂利をざるに入れて洗い流していた。 市外から墓参りに訪れた人たちはニュースで水害の被害を見て驚いたと話し、墓の下で水害を体験した先祖に静かに手を合わせていた。 同寺は平成11年の本堂改修で土台を30cmを上げた本堂は、ぎりぎりで床下浸水にとどまった。しかし、本堂と棟続きの牧野住職の自宅は床上浸水。1mを超す水につかった境内と同様、水が引くと20cm以上の厚さの泥が残った。 1日の新盆には間に合わせようと、水害発生から数日後、さっそく業者に頼んで境内の泥出し作業を行ったが、床上浸水した本堂以外の復旧は、まだ手をつけていない。水害後は、法事は被害のなかった料理屋で行い、葬式の寺参りも中止して復旧作業を進めてきた。 水害からの1カ月を「あっという間だった」と牧野住職。水害発生のその日の午前中、牧野住職は被災地でない嵐北地区で経をあげていた。昼ころ、車で寺へ戻ろうとに昭栄大橋を渡り、東新保のガード下付近まで来たところで、前から濁流が押し寄せてきたため慌ててUターンした。
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水害の体験を語る牧野高福寺住職
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渋滞する四日町小学校付近を通り、西大崎西本成寺線から帰ろうとしたが、どんどん水かさが増したので車を乗り捨てて歩いた。流れのある泥水は胸の下の高さに達し、原信四日町店に駐車してあった車の屋根の上に避難。さらに水かさが増し、トラックの荷台に10人ほどで移った。 それから西大崎西本成寺線をはさんで向かいの橋本電機の人が2階から投げてくれたロープにつかまり、次々と同社に避難した。同社には近くの店舗の人など60人くらいが避難しており、妊婦もいた。水につかって寒さに震える人もいた。停電していたが同社の発電機でファンヒーターをつけて暖をとり、一夜を過ごした。牧野住職は「おおげさではなく、生命の危険を感じた」と13日の悪夢と大勢の人の思いやりは、今も克明に脳裏に刻まれている。 この日は朝早くから檀家(だんか)を回ったが、被害を受けた人のなかには精神的にまいっている人も多かった。浸水で仏壇を処分した家では読経できなかったが、どうしてもと2、3軒の家では廊下の盆棚に向かって読経した。
牧野住職は、被害にあわなかった人は被害にあった人を思いやってほしいと言う。「自分の祖先に感謝するだけでなく、水害で命を落とされて人、動物、さらには戦争で命を落とした人など、世界中の仏に手を合わせて、お参りしてほしい」と、特別な盆にだれもが信仰を超えた慰霊の念をもつよう願っている。
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