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7・13水害から50日目の8月31日、三条市災害対策本部解散(2004.9.1) |
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7・13水害の発生から50日目の31日、三条市は午後5時で三条市災害対策本部を解散し、水害との闘いにひとつの区切りをつけた。今後、対策本部業務の避難所や炊き出し、被災者支援制度などの被災者支援に関する業務は所管課で行う。
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31日、三条市災害対策本部が解散し、最後となった本部会議
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同本部は災害発生の7月13日午前9時に設置してから、24時間体制で救助、復旧の業務を行ってきた。
午前8時から最後の本部会議を開き、高橋市長は、「寝食を忘れ、自宅が災害に遭っているにもかかわらず頑張っていただいた。心から感謝します」と職員の労をねぎらった。
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水害の教訓や反省点を話す高橋三条市長
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水害は大きな教訓や反省点をもたらし、なかでも災害は常に地震だけを想定していたことをあげた。阪神・淡路大震災後、国の指示に対応してきたのではないかと分析し、「本当に市民の生命と財産を守るにはどうしたらいいかが、落ちていたのではないかと感じる」とした。 さらに、「報道に対してまったく無防備だった」と話した。これは、拒否するものではなく、きちんとした情報で対応していかなければいけなかったなどをあげた。今後、それらをまとめていかなければならないと話し、対策本部は解散だが、これで終わりではなく、各所管課で引き継いで中途半端にならないようにと指示した。
午後5時をすぎて、対策本部室の入り口に50日間掲示された「三条市災害対策本部」と書いた紙をはがし、対策本部は解散した。
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