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[NUM総合講座レポート・10/20]松永孝司(株)新潟フジカラー取締役経営企画室部長(2004.11.6) |
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平成16年10月20日
テーマ:「新潟フジカラーの経営」
講 師:株式会社新潟フジカラー 取締役経営企画室部長 松永 孝司
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新潟経営大学2年齋藤新太郎さん
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今年で新潟フジカラーが誕生して42年が経っている。昭和38年から60年までは、白黒フィルムからカラーフィルムの移行期で規模を拡大していればいい時代であった。昭和61年から平成5年にかけ、プリントの仕事が激減した。自家ラボ機によって、お店でプリントが出来るようになったからである。自家ラボ機を売れば、自社の現像の仕事が減る。このジレンマを解決するための意思決定は、良質な自家ラボ機を販売し、メンテナンス体制を整えて他社との差別化を図るということであった。また、市場を大衆市場からプロに的を絞った、高値のR現像とPRプリントに特化した。平成6年から平成13年は、映像の事なら何でも対応できる映像センターの立ち上げと一見写真と関係の無い通信事業であるドコモショップの設立をした時期であった。『画像』を『写真』から『映像』と企業のドメインを捉えることで事業領域が広がった時代である。
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松永孝司(株)新潟フジカラー取締役経営企画室部長
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現在は、フィルムカメラが売れない。皆がデジタルカメラを使い、思い出を『モノ』では無く『データ』として記録する時代である。しかし、データにした記憶メディアは100年後、記憶装置が無く再生出来ない可能性が強い。写真は100年以上もつ。これを武器に顧客ひとりにひとりに合う写真集を作っていく戦略がとられている。企業の寿命は30年といわれている。企業が存続するためには時代の流れをしっかり読んで企業が環境に適応し進化しなければならいことがよくわかった講義だった。
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新潟経営大学
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