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三条市資料館で條陽美術会展の後期展始まる(2005.2.13) |
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三条市歴史民俗産業資料館(羽賀吉昭館長)では、11日から3月6日まで同資料館で條陽美術会展後期展を開いており、江戸時代から三条文人と呼ばれる多くの画家を輩出した三条で、その伝統を受け継ぐ20人近くが大正末年に発足、終戦とともに消えた日本画の研究会、條陽美術会の作品を展示している。
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昭和11年5月17日に撮影された條陽美術会10周年記念の写真
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6日まで前期展を開いたのに続き、全作品を展示替えして開いているもので、軸装を中心に屏風や額入りを含む34点と色紙など小品13点を展示している。
同会は大正15年(1926)に春日大鳳(1897〜1983)の発起で発足。岩田愛山(1870〜1943)と藤沢越堂(1881〜1946)を名誉会員に指導を受け、年に一度、旧三ノ町にあった三条銀行(その後の新潟県神社庁)で作品展を開き、即売金を運営費に充てたという。
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11日から3月6日まで三条市歴史民俗産業資料館で開かれている條陽美術会展後期展
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太平洋戦争が始まると材料の入手もままならず、作品展も中断したが、会そのものは終戦の昭和20年(1945)まで約20年間、続いたようだ。
同11年(1936)5月17日に会の10周年記念で撮影された写真には、春日大鳳、岩田愛山、藤沢越堂のほか、阿部昭忠、稲田華陽、榎並白凌、大竹草坡、佐藤光正、高波海舟、高野翠雲、田中研道、田巻雲峰、鳥羽松水、飛田屯坪、西川玉田、韮澤沙悠己、皆川勝義、八百枝菖城の会員18人がひな壇に並ぶ。その後、藤井啓玉も参加したと伝わる。
今回、展示しているのは、作品を見つけられなかった佐藤、田中、鳥羽を除く16人の作品だが、前期にはなかった大竹、榎並の2人の作品も展示する。
会員のなかでも三条市の名誉市民第一号、日本画家岩田正巳の父、愛山や、三条文人に分類される越堂、文展入選の啓玉などは別格として、脈々たる三条文人の偉業に学び、後世に伝えようとする会員たちの熱意にあふれた作品が並んでいる。月曜と月末日、祝日の翌日は休館、それ以外は午前9時から午後4時半まで開館。入場無料。
■條陽美術会会員略歴
阿部昭忠(あべ・あきただ)
本名は阿部松一。別号「栄松」。明治32年(1899)生まれ、昭和51年(1976)に没した。77歳。職業は鋸製造業を経て、刀鍛冶や鍔(つば)・鞘(さや)の彫金を手掛けた。当家彫刻師も有名である。
稲田華陽(いなだ・かよう)
本名は稲田金次郎。明治34年(1901)生まれ、平成3年(1991)に没した。89歳。職業は肖像画家。市内外にも多くの肖像画が残っている。
岩田愛山(いわた・あいざん)
本名は岩田屯。別号は「松渓」。條陽美術会では、顧問として会を導いていた。明治3年(1807)生まれ、昭和18年(1943)に没した。73歳。職業は眼科医。次男に岩田正巳がいる。
榎並白凌(えなみ・はくりょう)
本名は榎並長蔵。明治36年(1903)生まれ、昭和56年(1981)年没した。78歳。職業は豆腐製造業。旧大町で豆腐屋を営んでいた。
大竹草坡(おおたけ・そうは)
本名は大竹新吾。明治38年(1905)生まれ、平成元年(1989)に没した。83歳。西裏館で金物商を経営。近所の岩田愛山によく出入りした。
春日大鳳(かすが・たいほう)
本名は春日博。日本画愛好会「條陽美術会」の発起人である。明治30年(1897)生まれ、昭和58年(1983)に没した。86歳。職業は表具師。
佐藤光正(さとう・みつまさ)
本名、佐藤政太郎。明治42年(1909)生まれ、昭和45年(1970)に没した。60歳。居島で彫金業を営む。号は、従来伝えられている勝春ではなく、「光正」の可能性が大であるが、確定できず。
高波海舟(たかなみ・かいしゅう)
本名は高波與一郎。明治37年(1904)生まれ、昭和19年(1944)に没した。40歳。職業ははじめ紺屋(染色業)、のちに木工業を営む。
高野翠雲(たかの・すいうん)
本名は高野由太郎。明治13年(1880)生まれ、昭和22年(1947)に没した。66歳。職業は鍛冶屋
田中研道(たなか・けんどう)
本名は田中研。明治45年(1912)生まれ、昭和44年(1969)に没した。57歳。職業は骨董商。三条画人、田中永雲の孫。
田巻雲峰(たまき・うんぽう)
本名は藤沢由松。別号「清園」。明治23年(1890)生まれ。昭和25年(1950)に没した。59歳。職業は画家。藤沢越堂の弟。
鳥羽松水(とば・しょうすい)
本名は鳥羽万亀造。明治23年(1890)生まれ、昭和32年(1957)に没した。67歳。職業は会社員。そのかたわら郷土史なおdの研究、執筆もした。また、俳句もたしなみ、俳号は「松水」。
飛田屯坪(とびた・とんぺい)
本名は飛田頓平。明治43年(1910)栄町で生まれ、昭和29年(1954)に没した。43歳。職業は紙屋。旧大町に店があった。
西川玉田(にしかわ・ぎょくでん)
本名は西川金太郎。別号は比較的、初期のころに「金舟」。明治39年(1906)生まれ、昭和43年(1968)に没した。61歳。職業は農業。一時期、本成寺村役場で行政マンをしたこともあった。
韮澤沙悠己(にらさわ・さゆみ)
本名は韮澤左右三。明治36年(1903)生まれ、昭和59年(1981)に没した。78歳。職業は豆小手製造の鍛冶屋。後にサラリーマンへ転向。
藤井啓玉(ふじい・けいぎょく)
本名は藤井啓太郎。別号は「鳳月」。明治31年(1898)生まれ、昭和55年(1980)に没した。82歳。職業は画家。画を学ぶため上京していたが、昭和11年(1936)の文展に入選後、帰郷した。條陽美術会への参加はその後であろう。
藤沢越堂(ふじさわ・えつどう)
本名は藤沢清二郎。別号は「北湖」「東堂」。岩田愛山とともに條陽美術会の顧問として会を導いた。明治14年(1881)生まれ、昭和21年(1946)に没した。65歳。職業は画家。
皆川勝義(みながわ・かつよし)
本名は皆川義一郎。明治29年(1896)生まれ、平成元年(1989)に没した。92歳。職業は彫金業。当時は市内にも弟子が多かったという。
八百枝菖城(やおえだ・しょうじょう)
本名は八百枝康三。明治3年(1870)生まれ、昭和19年(1944)に没した。74歳。職業は歯科医師。日本画のほか、乾板写真の愛好家としても有名である。
■関連リンク
三条市歴史民俗産業資料館
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