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分水町が歌舞伎屋台「地蔵堂本町屋台」を復元、その展示館も建設(2005.12.23)
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分水町は、町指定文化財としてばらしたまま保存してきた全国でも珍しい歌舞伎屋台「地蔵堂本町屋台」をこのほど復元し、あわせてこの屋台を一般公開する展示館を良寛資料館=分水町地蔵堂=の敷地内に建設。21日に現地で納品、組み立て作業が行われ、関係者にお披露目した。
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分水町が復元、納品された歌舞伎屋台「地蔵堂本町屋台」、手前が花道
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地蔵堂本町屋台は、移動式舞台に鳴り物の砂切り(しゃきり)と浄瑠璃(じょうるり)語りも乗り、歌舞伎を演じる三階造り。釘を使わない組み立て式の山車(だし)で、高さ4.6メートル、長さ5.1メートル、幅3.5メートル。それに幅0.9メートル、長さ4.1メートルの花道も付く。
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屋台後方、岩絵の具で彩色、再現されたふすま絵
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良寛資料館敷地内に建設した展示館
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製作年は不明だが、記録では約180年前の文政11年(1828年)までさかのぼることができ、今の分水町地蔵堂の本町地区の上、中、下組に1台ずつ、計3台の屋台があった。
地蔵堂町本町の鎮守堂「願王閣」の祭礼で、奉賛と商業上の人寄せの意味合いから昭和29年まで歌舞伎を演じながらひきまわされた。その後は歌舞伎の衰退などで、囃し(はやし)方だけでひいたり、飾り屋台にしたりした。
しかし、それも続いたのは昭和46年ころまで。その後は組み立てられることはなかったが、昭和53年に町指定文化財となり、平成2年には本町から分水町に寄付された。
分水町では、3台の屋台をばらした状態で保管し、5、6年前に1台だけ仮組みしたものの老朽化が激しく、引くことができなかったため、代わりに平成12年に彫刻など屋台の部品の一部を使って「分水みこし」を製作し、以来、7月の分水まつりで担いでいる。
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昭和初期の大祭(上町中村屋前)
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屋台とともに展示館に納める平成12年製作のみこし
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分水町が来年3月に燕市、吉田町と合併するのを前に、合併後も町の伝統文化を保存しようと屋台の復元と展示館の建設に取り組み、ことし8月にトーア仏壇(株)=本社・長岡市=に復元を依頼した。
復元は中組の屋台を基本に、一部はほかの2台の部品も組み合わせた。老朽化で使えない部分は、最高級の材料を使い、できる限り原形に近い状態を目指した。
あわせて、復元された屋台とみこしを展示する展示館を良寛資料館敷地内に建設した。出し入れできるように高さ5メートルのシャッターを備える延べ床面積260平方メートルの木造。事業費は屋台の修復組み立てに約1,100万円、展示館建設が約3,500万円だった。
21日は修復された屋台が納品され、展示館内で関係者が見守るなか、組み立て作業が行われた。小林清分水町長をはじめ関係者らは、屋台に施された彫刻の龍や牡丹、ふすまに岩絵の具で描かれた花など、豪華絢爛(けんらん)な装飾の数々に目を細め、「来年の分水祭りでは歌舞伎は無理だが、なんとか囃子の復活を」と思いを膨らませていた。展示館の竣工式は関係者らが出席して28日に行い、一般公開は来年1月になる見込みだ。
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