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三条市長選出馬の國定氏が記者会見で正式に立候補表明(2006.10.11)
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高橋一夫三条市長の辞職に伴って市長選挙に出馬する國定勇人氏(34)は、11日午後3時から三条ロイヤルホテルで記者会見し、立候補を正式に表明した。
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記者会見する左から後援会幹事長に就く山井氏、市長選出馬の國定氏、後援会会長に就く高橋市長
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國定氏は東京都神田神保町生まれ。1997年に一橋大学商学部を卒業、同年、当時の郵政省に入省。2003年に総務省から三条市に出向し、三条市総務部参事兼情報政策課長、05年三条市総合政策部長に就き、ことし4月に総務省に戻り、情報通信政策局地域通信振興課課長補佐を務めていたが、6日退職した。家族は妻と3歳の長男。
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会見する國定氏
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会見には國定氏の後援援会長を務める高橋市長と幹事長の山井太(株)スノーピーク社長が同席。國定氏は出馬の経緯から話した。9月中旬に高橋市長から市長選出馬の打診を受け、国家公務員という安定した身分が保障されていることや、家庭のこと、総務省での仕事に十分満足できる状況のなかで「ずいぶん悩み、悩み抜いた」。
しかし、最終的には「この三条という町がわたしにとって本当にかけがえのない町であった。なんとしても三条市の発展に微力ながら自分の力を注いでいくことができれば、わたしにとって幸せなことではないであろうか」と決断。10月1日に高橋市長や後援会関係者に出馬の意向を伝えた。
大学時代に中国・北京に留学した以外は東京に住み、行政と言っても市民から距離のある霞ヶ関で生きてきた。三条市に出向した3年間は三条市民と身近に接し、とりわけ7・13水害で行政の大切さ、市民生活に根付いた行政の重要性を強く感じた。
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高橋市長と握手する國定氏
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さらに三条市は地場産業がしっかりと根付き、新市では農業、自然環境と非常に懐の深い町となり、人間が実社会として豊に営むモデルケースのように教えてくれた。市町村合併で新潟市と長岡市の間の県央地域、その中核都市の三条市が地の利を生かして発展するためにも、これまでの行政経験を生かし、貢献したいとなどと話した。
公約については今後、設立される後援会と相談するとしたが、現在、考えている6つの柱として行財政改革、新三条市の融和、7・13水害からの立ち直り、長期的には医療問題、子育て環境の充実、基礎学力の向上などの教育をあげた。これらは、國定氏が中心的に政策にかかわった三条市経営戦略プログラムの実行など大まかなところは現在の市政の継続でもある。
3年間、市政に尽くしてきたつもりだが自身を知らない市民は多く、選挙戦では「わたしの考えと人となりを理解してもらうため、三条市内をくまなく回ってわたしの思いを伝えていく。それしかないと思っている」。國定氏は183センチの長身で、市長選にのぞむ決意を力強く述べていた。
後援会事務所は、15日ころまでに東裏館1のコンビニ店2階に構える。高橋市長が辞職した後、18日以降に後援会総会を開く。
後援会は三条、栄、下田の地区単位の組織化も進めている。國定氏が当選すれば、日本一若い市長になる。現在、最も若い市長は佐賀県武雄市の樋渡啓祐(ひわたし・けいすけ)市長で、36歳。総務省時代の國定氏の2年先輩でもある。
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