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鎚起銅器の燕・玉川堂の初代から歴代当主の作を一堂に集めて燕市産業史料館で玉川堂展 (2009.1.12)
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9日から25日まで燕市産業史料館で「玉川堂展」が開かれており、国指定無形文化財の鎚起(ついき)銅器の製作技術を守り続ける老舗、玉川堂(ぎょくせんどう)=燕市中央通2=の初代から6代目まで、江戸時代から190年余り続く歴代当主の作を一堂に集めて展示している。
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25日まで燕市産業史料館で開かれている玉川堂展
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金属産業が盛んだった江戸時代後期の燕に、仙台からの渡り職人藤七が、一枚の銅板を鎚(つち)でたたいて、延ばしたり縮めたりして器を形成する鎚起銅器の製法を伝えたという。
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初代覚兵衛の作
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玉川堂は文化13年(1816)創業で、その初代、玉川覚兵衛も藤七の技術を受け継いだひとり。磨き抜かれた技は、昭和55年(1980)に「燕の鎚起銅器の製作技術」として国の無形文化財に指定されている。
今回の展示では、初代覚兵衛に始まって2代覚次郎、3代覚平、4代覚平、3代目覚平の三男謙三郎、5代覚平、6代政男、6代弟宣夫の歴代当主の作品がそろい、約50点を展示している。
あわせて、明治27年(1894)の「明治天皇・御大婚25周年奉祝」での一輪花瓶献上や、明治37年(1904)の米・セントルイス万博で受けた銀賞、そして無形文化財指定など数々の賞状やメダル、史実となった資料も展示している。
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左が3代覚平「花瓶一対」、右が4代覚平「花瓶 古代瓦象嵌」
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「薬缶屋(やかんや)覚平衛」と呼ばれた初代が、江戸後期に制作して1点しか現存しないいないという初代の薬缶をはじめ、3代目が海外の博覧会に出展したユリやキクの花の彫金が施された花瓶、第二次世界大戦中に銅が手に入らずアルミを材料とした額皿など貴重な作品が並ぶ。
東京芸術学校彫金科を卒業した4代目の作品には、奈良の正倉院の瓦をイメージして制作した朱色の花瓶は美しい曲線をたたき上げた本体の美しさはもとより、その銅の表面を彫って金や銀をはめ込んだ象眼(ぞうがん)の技術など、伝統の技や独創性を集結した見応えのある作品が並ぶ。
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18日に講演する玉川堂の玉川基行代表取締役
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今回は同史料館の11月のリニューアルオープンを記念した特別展に続く展示。地元燕の技術や歴史も紹介する展示であり、今回が「真のこけら落とし」と話す関係者も。また、同史料館で玉川堂の作品を展示するのは実に約30年ぶりにもなり、県外からも来場者がある。
開館は午前9時から午後4時半まで、今回の展示期間中の休館日は13日と19日。入館料はおとな300円、子ども100円で、土、日曜と祝日は燕市内の小中学生は無料で、小学生の付き添う保護者1人も無料。
また、関連イベントとして、18日午後2時から燕市文化会館で講演会を開き、玉川堂7代目の玉川基行(株)玉川堂代表取締役を講師に「不死鳥の燕〜燕の歴史、そして未来〜」のテーマで聴く。聴講は無料。
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