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五十嵐川・刈谷田川改修対策室が廃止、4年半、1,643日でその大役を終える (2009.4.1)

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平成16年の7・13水害発生から80日目の10月1日に開設された三条市の五十嵐川・刈谷田川改修対策室が3月31日、災害復旧事業がおおむね完了したことから廃止となり、開設から4年半、1,643日でその大役を終えた。

3月31日で廃止された三条市役所の五十嵐川・刈谷田川改修対策室

3月31日で廃止された三条市役所の五十嵐川・刈谷田川改修対策室

同改修策室は旧三条市役所に職員5人体制で「五十嵐川改修対策室」として設置。破堤した五十嵐川の抜本改修に向けて県や国とともに改修事業にあたった。

ピーク時には職員10人ほどを配置し、市の合併後は刈谷田川の災害復旧事業も加えて名称を「五十嵐川・刈谷田川改修対策室」に変えた。

390棟余りの家屋移転、完成した一新橋と御蔵橋、残る常盤橋、嵐川橋の計4橋の架け替え、排水機場、築堤や護岸工事、道路の関係などで県との協議をはじめ、地権者や住民との説明会や連絡調整などを行ってきた。

対策室としての業務が終わる31日、開設時に五十嵐川改修対策室長を兼務した土田荘一土木部長は、ここまで仕事ができたのは、県や関係機関、市民のおかげと言っても過言ではなく、本当に感謝していると話した。

土田部長は、「こんなに早く(対策室)を解散できるとは思っていなかった」と振り返る。まだ一部の事業が残っているが、正直なところは5年間の事業計画が計画通りに進むと考えている人は少なかったのではないかと言う。

取り外した五十嵐川・刈谷田川改修対策室の入り口の看板

取り外した五十嵐川・刈谷田川改修対策室の入り口の看板

一日も早く安心して暮らせる町をつくらなければならないと、県も市も同じ思いだった。家屋移転をした人たちの8割は被災していない人で、市民の理解と協力に感謝すると土田部長は繰り返し、「市民と行政とが1つになって成し遂げた事業では」。

また、土田部長は水害発生日の夕方、右往左往する対策本部に、母を探してほしいと親族と一緒に中学生の女の子が訪れた光景が忘れられないと言う。ついさっきまで一緒に当たり前にいた家族と会えなくなってしまうような、そういう市民を出してはならないという思いを強くしたことも話していた。