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国内初の科学的な皆既日食観測の地、三条で曇りがちながら部分日食を観測 (2009.7.22)

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日本で46年ぶりの皆既日食が観測された22日、日本初の公式の皆既日食観測が行われた三条市ではあいにくの曇り空だったが、雲の切れ間から部分日食を見ることができ、大勢の市民が空を見上げて日食を観察した。

食分がピークになった午前11時16分の大崎山山頂からの日食

食分がピークになった午前11時16分の大崎山山頂からの日食

朝のうちは厚い雲に覆われたが、日食の始まった午前10時前には雲の切れ間から太陽が見え隠れし、市内の各所で部分日食を楽しむことができた。

日食観測を行う大崎小学校の2年生

日食観測を行う大崎小学校の2年生

市内の小、中学校では屋上やグラウンドで日食を観察したところも多く、大崎小学校では屋上や教室で日食を観察した。2年生は玄関前で、1クラスに2個しかない観測用グラスを順番に使い回しし、目に当てて空を見上げ、雲の間から顔を出すたびに欠けていく太陽に「お月さまみたい」、「半分割れてた」、「太い三日月みたい」と歓声を上げていた。

大崎山に建つ観測日食碑

大崎山に建つ観測日食碑

明治20年(1887)の三条市(当時の南蒲原郡東大崎村)では、皆既日食観測の成功を喜び、その翌年に地元の関谷幸治郎県議が観測地の大崎山公園に観測日食碑を建てた。三条市は、その記念の地で日食観測会を開き、国定勇人市長や市民60人余りが参加し、太陽観察用遮光板などで観察した。

ここでも欠け始めた太陽が現れるたびに「見えた、見えた、また見えた」、「すごい、すごい」、「きょうは日本中が上を見てるね」と参加者は興奮気味だったが、熱中するあまり「首が痛くなってきたね」。雲のおかげでもちょっとまぶしさを我慢すれば肉眼でも日食を見ることができた。

三条市が大崎山山頂で開いた日食観測会

三条市が大崎山山頂で開いた日食観測会

小学生のころに日食を見たような記憶があると言う三条市下坂井、石沢敏子さん(63)は、「こんなにはっきりと見えるとは思わなかった」、「予想以上に太陽の隠れるのが早かった」と感激。高橋一夫前市長も参加し、小学生の時に三条小学校のグラウンドで日食を観察して以来、2度目の観察と話していた。

また、同所での三条市理科センターの観察によると、部分日食の始まる前の午前9時55分の気温は27.1度で、ピークの午前11時10分は25.1度で2度下がった。太陽が欠けたときの木漏れ日は三日月形になった。

木漏れ日も部分日食の形になった

木漏れ日も部分日食の形になった

同センターによると、次に日本で見られる皆既日食は26年後だが、三条市では3年後の2012年5月21日にも今回のように部分日食がよく見えるという。観測会の参加者は、26年後はわからないが3年後なら「次も」と、すでに次回を楽しみにしていた。