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燕高校が今年度で閉校、卒業式で33年の歴史に幕 (2010.3.7)
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今年度で閉校する県立燕高校(小野島惠次校長)は6日、同校最後の卒業式を行い、第33回卒業生35人が卒業し、昭和52年の創立から33年の歴史に幕を降ろした。
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最後の卒業式の予行演習を行う県立燕高校の第33回卒業生
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卒業式は卒業生のほかに、同じ校舎を使う燕中等教育学校の生徒300人余りも出席して卒業生を送り出した。
燕高校の前身は、旧燕工業高等学校小中川分校普通科。昭和52年に小中川分校を仮校舎として創設され、翌53年に新築した現在の校舎に移転した。
閉校は一連の高校再編に伴うもので、あわせて平成17年に同校舎に中高一貫校の県立中等教育学校が併設された。
平成19年に今の第33回卒業生が入学したのを最後に生徒の募集を停止。すでに昨年10月24日に閉校式を行っている。
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玄関に並ぶ燕高校と燕中等教育学校の校章
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卒業式前日の5日は、中等教育学校の生徒も参加して同窓会入会式や卒業式の予行練習を行った。会場の体育館には「第33回卒業証書授与式」の横断幕や日の丸を掲揚した。
燕高校と中等教育学校の2つの校章が並ぶステージに名前を呼ばれた卒業生が一人ずつ登壇し、卒業証書を受け取る練習などで確認した。
中等教育学校の校長も兼務する小野島校長は、平成16、17年に燕高校の教頭に就いた後に県教育委員会、そして昨年から両校校長に着任した。最後の卒業式は、自身の51歳の誕生日にも当たることから、同校との縁を感じる思い出深い1日と言う。
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燕中等教育学校に引き継がれる燕高校の校歌
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閉校決定を知ったとき、寂しく残念なことではあるが、在校生が胸を張って卒業できるようにと願った。校長に就いてからは教諭らとともに、最後の卒業生が人数は少なくとも行事にも楽しく取り組み、いい思い出を胸に卒業できるか考えた。
体育祭の「飛燕祭」をはじめ、宿泊遠足、弥彦山登山、ハードオフエコスタジアムでの人文字「燕」の作成など、生徒と教諭が一丸となって取り組み、やりとげてくれたと振り返る。
卒業式は同じ校舎を使わせてもらった中等教育学校の生徒たちが今後はあとに続くことから、燕高校の卒業生を送ることにした。式では、卒業生に「追い求める勇気があれば、すべての夢はかなう」とウォルトディズニーの言葉などを贈りたいと話していた。
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校門にはめ込まれた「県立燕高等学校」とある銘板
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また、燕高校の33年間の歴史には、春校バレーや駅伝、空手道など数々の活躍の歴史もあり、渡り廊下に閉校記念の陳列ケースを設置し、今後もその表彰状やトロフィーを飾る。高校の校歌も中等教育学校の第2校歌として受け継ぐ。
小野島校長は、同窓会についても「つなげていくことが大事で、意味がある。絆を大切にしたいし、一度途切れたら復活は大変なこと。つなげていくことが大切」と話し、これを機会にさらに結束を強めてほしいと願う。
さらに33年の歴史の燕高校は今年度で閉校となるが、さまざまな絆は終わりにすることなく大切にしていってほしいと話し、中等教育学校との今後のつながりにも期待している。
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