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20日まで燕市産業史料館で捧武写真展「煙管職人・野島厚次と煙草をめぐる風景」、6日は作品解説会も (2010.6.5)

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燕市産業史料館では、6月4日から20日まで同史料館で捧武写真展「煙管(きせる)職人・野島厚次と煙草(たばこ)をめぐる風景」を開いている。第2回林忠彦賞受賞の写真家、自営業捧武さん(77)=燕市中央通4=が、最後の煙管職人とも言われる野島厚次さん(99)=同市本町1=に取材した写真と、昭和のたばこをめぐるしぐさをとらえたノスタルジーな雰囲気にあふれた作品を展示している。

 20日まで燕市産業史料館で開かれている捧武写真展「煙管職人・野島厚次と煙草をめぐる風景」

20日まで燕市産業史料館で開かれている捧武写真展「煙管職人・野島厚次と煙草をめぐる風景」

作品はすべてモノクロームの全紙サイズ。野島さんを撮影した14点とたばこのある風景をとらえた8点の計22点を展示する。

野島さんの写真は、平成13年に出版された燕商工会議所の五十周年誌に掲載する野島さんの写真撮影を頼まれ、取材した。燕市の煙管産業は、戦前に全国生産の9割を占めるまで隆盛を極めた。野島さんは14歳から煙管職人だった父のもとでその技を学んだ。

捧さんの写真に写る最後の煙管職人とも言われる野島さん

捧さんの写真に写る最後の煙管職人とも言われる野島さん

数年前に引退するまで80年以上にわたって煙管制作に打ち込んだ。赤銅や金、銀などの違った素材を駆使して「切り嵌め(きりばめ)」という技法を開拓し、親子2代で手作り煙管の伝統を支え、発展させてきた。

写真に写る野島さんは、座る場所くらいしかない手狭な仕事場で作業に打ち込んだり、自宅でくつろいだり。捧さんが野島さんを燕のまつりに連れ出して撮影した写真もある。資料として野島さんの手によるトキをデザインした煙管も展示している。

野島さんが手掛けたトキをデザインした煙管

野島さんが手掛けたトキをデザインした煙管

一方、たばこのある風景は昭和30年代から40年代にかけて主に魚沼地方で撮影し、撮りためたフィルムの中から、たばこの写り込んだ作品を集めた。煙管をくゆらせるおばあさん、くわえたばこでウマと写る農民。きせるとたばこで火を移すお年寄り、笠に雪を載せてたばこに火を着ける男。当時はありきたりだった風景が、フィルムに焼き付けれられ、半世紀を経て歴史の証人ともいえる貴重な資料となっている。

煙管とたばこで火を移す「火をくれ」

煙管とたばこで火を移す「火をくれ」

あわせてその当時に捧さんが使っていたカメラ、名機「ライカM4」も展示。ひび割れた革のストラップが時代を感じさせる。ほかにもエントランスには捧さんがこれまで出版した写真集や林忠彦賞を受賞したときの盾も展示している。

昭和30年代に捧さんの愛用していたカメラ「ライカM4」

昭和30年代に捧さんの愛用していたカメラ「ライカM4」

カメラはすっかりデジタルに置き換わり、捧さんもデジタルカメラで写真を撮るようになり、技術の進歩に目を見張るが、この写真展に向けて撮りためたフィルムからたばこのある風景を選りすぐり、自宅の暗室で印画紙に焼いた。

その作業は昔も今も変わらない。体力が必要で年々、衰えを実感しすると言う。モノクローム写真に「今の若い人には、おもしろくねえんだろうけど」と自嘲するが、二度と撮ることのできない写真の数々は、カメラとともに生きる捧さんの歴史そのものでもある。

初日に会場を訪れた捧さん

初日に会場を訪れた捧さん

6日午後2時から作品解説会を開く。捧さんがそれぞれの写真を撮ったときの状況を解説するので、表しか見えない写真の厚みを深めてくれるはずだ。申し込みは不要だが、入場券が必要。

展示の公開は午前9時から午後4時半まで、月曜休館で会期中の休館日は7日と14日。入館料はおとな300円、子ども100円、土、日曜と祝日は、燕市内の小中学生とその付き添い保護者1人が無料になる。