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木目金の玉川宣夫さんが県内では4件目、燕市では初の人間国宝へ (2010.7.17)
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16日に開かれた国の文化審議会で、伝統的な鍛金のとくに「木目金(もくめがね)」の技法に取り組み独自の作風を確立する燕市花見、玉川宣夫さん(68)を重要無形文化財保持者(人間国宝)として認定するよう答申が行われ、県内での保持者では4件目、燕市では初めての人間国宝が誕生することになった。
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人間国宝となることが決まった玉川宣夫さん
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「鍛金」の分野では現在、保持者として2人が認定されており、玉川さんは3人目となる。官報告示を経て正式な認定となり、9月に認定証の交付式が予定されている。
鍛金は古くは打物、鎚起とも称され、金工の主流をなす技法のひとつ。木目金は、異なる種類の金属板を10枚から30枚、層にして積み重ねて熱してたたき、ひとかたまりの地金を作る。それをたたいて延ばして表面に文様を彫り、色層の重なりを生かして木目、班状の文様を打ち出して器物を成型する鍛金技法。海外でも「MOKUMEGANE」として知られる。
玉川さんは昭和17年、旧下田村庭月の大橋家三男に生まれ、中学1年生の春に燕市の玉川家(玉川堂)の養子となり、5代目二男に移籍。34年に秋田市立工芸学校卒業して玉川堂に入社、家業に従事した。
36年に三条実業高校(定時制)を卒業。38年に上京し、人間国宝だった鍛金家、関谷四郎さん(1907-94)の内弟子として学んだ。40年に帰郷、玉川堂へ再入社し、常務、専務を歴任。平成8年に退社、独立して創作活動に専念し、平成14年春には紫綬褒章授章している。
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玉川宣夫さんの代表作「木目金花瓶」
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作歴は、昭和42年の県展・現代工芸新潟会展への出品に始まり、44年に第9回日本伝統工芸新作展に初入選、第16回日本伝統工芸展初入選。以後同展に出品を続け、57年第29回日本伝統工芸展NHK会長賞受賞で作品を文化庁へ納入した。
62年、日本伝統工芸展鑑査委員に。第1回茶道美術公募展入選、平成18年には第1回新潟県伝統工芸展「大賞」受賞など、さまざまな賞を受賞。現在は日本工芸会正会員(金工部会評議員)、県展委員、燕市文化財調査審議会委員などに就く。
人間国宝認定の知らせに玉川さんは、「驚くと同時に、おれのような者でいいのかと、率直な戸惑いがあった」と言い、文化人の多い京都や東京などではなく「燕のしがないわたしが…」と恐縮する。
玉川堂で「木目金」の後継者2人を育てたことで自身の役割のひとつをクリアしたと考えている。全身の力を込めて地金を打ち延ばす工程に喜びを感じる一方、衰える体力から「この1、2年でやめようと思っていた」と明かしながらも、「もう2、3年残り火をかき立ててやろう。エネルギーを補給された感じ」と人間国宝の栄誉を創作意欲の起爆剤にする。
人間国宝認定は「ありがたいこと。若いときからこの世界に入り、30代、40代のころは(人間国宝の)足元に近づきたいと勉強し続けてきた」と言う。独立したばかりのころに作品を購入し「100万円の作品を50万にも150万にするにもおまえの頑張りしだい」と言って応援してくれた人たちに恩返しができたと眼を細める。
玉川さんは、年3回の工芸展の7月末に搬入する出品作の制作が終わったばかり。この知らせがなければ一息ついて、月1回は遠出をするという趣味の山歩きに出かけようと思っていたところと笑う。
燕市産業史料館で12月ころに開催予定の個展に向けての作品づくりに取りかかったところ。作品づくりは「設計図なしのぶっつけ本番」、「頭の中で計算し、塊(地金)になれば無念無想」と、厳しいまなざしで金槌を振っている。
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