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燕市分水良寛史料館で良寛にゆかりの2人にフォーカスした企画展「玉元と有願」 (2010.8.12)
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燕市分水良寛史料館(西海土寿郎館長)では、9月12日まで企画展「玉元と有願」を開いており、越後の禅僧・良寛(1758-1831)にゆかりの絵師・玉元(ぎょくげん・1728-1807)と風狂の禅僧・有願(うがん・1738-1808)の作品を集めて展示している。
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9月12日まで燕市分水良寛史料館で開かれている企画展「玉元と有願」
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ふだん展示している良寛にまつわる人たちの作品を撤去して、代わりに玉元の18点と有願の11点を展示。大半は燕市、三条市と隣接する新潟市南区新飯田に拠点を有願を研究するグループ、有願会の会員所蔵品を借りた。
有願は今の三条市代官島の庄屋、田沢家に生まれた。出家して禅僧となり、托鉢(たくはつ)をしながら全国を渡り歩いた。晩年は新飯田の円通庵(田面庵)に住んだ。燕市・万能寺の6代目住職でもある。多作で現存する作品が多い反面、謎も多い。
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有願の作品
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風狂の禅僧とも呼ばれるほど、奇抜なパフォーマンスでも知られるが、良寛は有願と親交を深めた。早く父を亡くした良寛は、父より3つ年下の有願に父の姿を重ねたとも見られる。有願は良寛のひざの上で息を引き取ったと伝わるほど、良寛は父のように有願を慕った。
有願は禅僧の修行として書画を学んだ。その絵の師となったのが玉元。江戸の深川水場狩野家の絵師、狩野梅笑で、玉元のほかに興信、栄信とも名乗った。
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玉元の人物図の二曲屏風
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痴情のもつれで江戸にいられなくなったという説もあり、天明3年(1783)ころに越後に来て姉の嫁ぎ先の六日町など魚沼地方をはじめ各地に滞在した。当時の雪国の暮らしを書いた『北越雪譜』で知られる鈴木牧之(1770-1842)にも画を教えた。有願も玉元に学び、画風に強い影響を受けた。
展示している玉元の作品は、狩野派として腕を磨いた画力にあふれた作品が並び、墨の特性を知り尽くし、筆の勢いを効果的に使って、生き生きと描いている。ダイナミックな構図の龍、デザインとしても完成度の高い羽を広げたガン、ユーモラスなポーズの人物と、さまざまな表現を見せる。
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玉元の六曲屏風「龍之図」
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一方の有願は、絵が本職ではないので、技巧は玉元には及ばないが、玉元に学んだあとの晩年の作は腕を上げているのがわかる。頻繁に描いたと思われるだるまや鍾馗のほか、仏教の死生観を表現したがい骨の作品はどこかユーモラス。のびのびと筆を走らせている。
また、貼り交ぜ屏風を展示しているが、そのうち1点は有願で、ほかにも三条文人の長谷川嵐渓(1814-65)、行田雲涛(1798-1853)の作品も張られているが、作者不明なものも多く、同史料館で来場者から作者を教えてもらえればと期待している。
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作者不明の作品が多い貼り交ぜ屏風
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西海土館長は、希望があれば展示解説も行う。午前9時から午後4時半まで開館、月曜は休館。入館料はおとな300円、学生200円、小中学生100円、夏休み中は市内小中学生は無料で、その付き添いの保護者1人も無料。問い合わせは同史料館(電話:0256-97-2428)へ。
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