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三条市内3中学校で被爆体験講話会、広島で15歳で被爆した生き証人が生々し被爆体験を語る (2010.9.8)

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三条市は8、9の2日間、市内3中学校で平成22年度被爆体験講話会を開いており、15歳のときに広島で被爆した中西巌さん(80)=広島県呉市=が語る生々しい被爆体験に中学生などが真剣に聴き入っている。

三条市の平成22年度被爆体験講話会で講師を務めている中西巖さん

三条市の平成22年度被爆体験講話会で講師を務めている中西巖さん

旧三条市が平成11年に非核平和都市宣言を行って以来、毎年市内の中学校2、3校で開いた講話会を合併後の三条市でも引き続き行っている。ことしは本成寺中、第三中、第二中の3校で開き、地域の人などだれでも聴講できる。

初日の8日は午前9時50分から本成寺中学校で開き、同校生徒305人のほか、同校学区の小学校から聴講させてほしいと西鱈田小学校44人と月岡小学校51人の児童も一緒に聴講した。

絵本作家が描いた絵など

絵本作家が描いた絵など

午後2時からは第三中学校で開き、生徒340人と保護者も何人か聴講した。

講師の中西さんが被爆したのは、旧制中学校4年生の15歳のとき。広島市の爆心地から2.7kmの動員先の工場で、作業に出発しようと倉庫の前でトラックを待ち、待機していたときだった。

中西さんは冒頭、大勢の「助けてください」の声にこたえられず、「65年たっても申し訳なく残念で思い出したくないこと」だが、「忘れたいとは思うが忘れてはいけないこと」と始めた。

その瞬間や直後のようす、精神的なことから体への影響など、今も消えない戦争の苦しみや恐ろしさを、プロジェクターで写真と絵を写しながら静かに話した。

プロジェクターを使って視覚的にもわかりやすく説明する中西さん

プロジェクターを使って視覚的にもわかりやすく説明する中西さん

被爆の瞬間は、「突然、目もくらむような一瞬の光」で何が起こったかわからず、竜巻に吸い上げられるような感覚に死んだと思った。気を失い、どれくらいの時間がたったかも記憶がはっきりせず、衝撃波などでものすごい音がしたはずだがそれの音も記憶にない。

しばらくして目を開け、目を開けられるということは生きていると思った。地面にたたきつけられたようにうつぶせの状態で、あたりや煙か粉塵で何も見えなかった。写真を見せて自身がキノコ雲の根元にいたことを示し、「苦しい」、「熱ーい」と声だけがして恐ろしかった。

友だちに駆け寄ると、多くはやけどで真っ赤になり、血を流し、苦しんでいた。中西さんは、ひんまがっていた鉄製の扉によって、けがややけどをまぬがれたと言う。

本成寺中学校の被爆体験講話会

本成寺中学校の被爆体験講話会

その後、煙の中を歩き、中学生の様子、出会った光景などを話した。体が溶けて顔も分からなず、胸のあたりまで垂れ下がって体中が真っ赤にずるむけになった人が「助けてくれ」と力を振り絞って逃げようとする姿は、まるで幽霊のようだったと、生々しく描写した。

核兵器は何とかしてなくさなくてはならないと訴えた。「平和の原点は人間の心と心のふれあい」で、周りの人と心からふれあい、仲良くする心、おとなになっても心をもっていれば決して戦争にはならないと話し、生徒たちに、これからも長く語り継ぎ、広く伝えてほしいと求めた。

第三中学校の被爆体験講話会

第三中学校の被爆体験講話会

講話を聴いた感想について、第三中学校2年生の秋山風薫さんは、実際の話は本当にひどくて、同じ人間が人間を苦しめていることは、憎いというよりも残念で悲しい、これまで戦争などについて勉強してきたことの想像以上だったと話した。

1年生の田辺有葵子さんは、おとなになったら次の世代に伝え、さっそく家族とも話したいと言い、1年生の古川航太郎さんは、実際に体験した人にしかわからない怖さとかつらいことがわかったと、戦争のない国であってほしいと話していた。