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菊田代議士に誕生7周年バースデーパーティーに蓮舫大臣も出席して外務政務官就任とあわせて祝福 (2010.10.3)
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新潟4区選出菊田真紀子衆院議員の代議士誕生7周年バースデーパーティーが2日、三条市・日帰り温泉施設「いい湯らてい」で開かれ、支持者約1,000人が参加し、蓮舫行政刷新担当大臣も訪れて菊田氏の初当選から7年、さらに菅政権下での外務政務官就任を祝った。
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2日開かれた菊田真紀子代議士誕生7周年バースデーパーティーで森民夫長岡市長のあいさつに笑い合う菊田氏と蓮舫氏
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アトラクションの三味線、内山五郎県議の開会あいさつのあと、菊田氏は黄、蓮舫氏は白のそれぞれイメージカラーのスーツを着て、大きな拍手に包まれて入場した。
泉田裕彦知事、森民夫長岡市長、西村智奈美衆院議員、江花和郎連合新潟会長の来賓祝辞に続き、蓮舫氏がマイクを握るとひときわ大きな拍手が起こった。
蓮舫氏は、「(菊田氏から)蓮ちゃん、体育館でやるからお願いね、という話を聞きました」、「国会議員でまさか親友に出会えるとは思っていませんでした」、「何よりも菊田さんは、誰よりも酒が飲める」と仲の良さをアピールした。
昨夏の政権交代にあらためて感謝し、「菊田真紀子外務大臣政務官をさらにお支えいただきたい」と求めた。仕分け作業で仕分け人を務め、自身はきつい印象をもたれているかもしれないが、「でも、菊田真紀子さんは私より相当、気が強い」と笑わせて仕分け作業について話した。
「仕分けをしなければ情報が私たちが野党だった国会議員にも、ましてや国民の皆さま方にもまったく知らされていなかったことを我々は事業仕分けでまずは情報公開、すべては税金を納めていただいている皆さま方に情報を共有するのは当たり前との思いで、まずはお示しをしましたが、ここはぜひ、堂々と私は評価をしていただきたいと思っておりますが、いかがでしょうか」と賛同を求めると、大きな拍手がわいた。
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菊田氏への支援を呼びかける蓮舫氏
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しかし、問題はここからで、1回仕分けて終わる官僚組織ではなく、看板のかけかえや、統合して経費を増やしている事業もあり、「どうか新しく誕生した政権を皆さま方にはもうしばらく温かいまなざしで育っていくのを見守ってもらいたい」、「反省するべき点は反省をして、それでもようやく動き出した、変えようとした新しい民主党政権に皆さま方の温かいご支援を」と訴えた。
菊田氏と友だちになって良かったことについて、「大臣政務官になったときに、おめでとう、一緒に頑張ろうと電話したときにマッキーが何と言ったか。蓮ちゃん大丈夫。外務相の無駄遣い、いっぱい見つけてくるから」というエピソードを紹介。「これから先も西村さん、菊田さん、そして私、仲間で皆さま方の声にしっかりと応えるために、頑張っていきたいと思っております。どうかこれまで以上にわたしの親友、菊田真紀子さんをご支援をいただきたい」と呼びかけた。
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外務政務官という新たな活躍の場を与えられ、これまでの支援に感謝する菊田氏
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最後に菊田氏がお礼の言葉を述べた。菊田氏は「7年前、何もないなかからスタートをしました。落選もし、浪人生活も歯を食いしばって耐え抜いて、そして初めてあの大きな国会議事堂の前に立ったとき、足が震えたことを今でも忘れたことはございません」と支援に感謝した。
7年間でいちばんの思い出が事業仕分け。「私が尊敬をし、そして大変、仲良くさせていただいている蓮舫さんと、お互いに励まし合いながら、いつも電話やメールで蓮ちゃん、生きてる?、マッキー、生きてる?って、ご飯食べれてる?っていう、そんな声をかけながら頑張らせていただいた」と振り返った。
外務相の職員へのあいさつで、「外務相の職員が世界の平和の実現、そして日本の平和と繁栄のために自信と誇りをもって働いていただけるように、そして大事なことはやっぱり政治家がきちんと判断をし、責任をとるという、そういう外交をつくっていくために頑張らせていただきたいという決意を述べさせていただきました」。
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1,000人の支援者でいっぱいの会場
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尖閣沖での中国漁船衝突事件について「中国との関係、大変ぎくしゃくといたしました」としたものの、政府の対応に関する評価にはふれず、「お互いに共栄共存、ともに繁栄していくそういう道を探っていく努力をやはりぎりぎりのところでしていかなければならない」と調整の難しさを示した。
「これからは、もちろん地元のことも一生懸命やらせていただきますが、政治の究極の目的である人類の平和、世界の平和、そして日本の平和のために仕事をさせていただけることを大変、光栄に思っております」と外務政務官という新しい立場での活躍を近い、支援を求めた。
また、来賓で新潟市・中国新潟総領事館に着任した王華(おう・か)総領事も出席。また、森長岡市長も中国に暮らした経験があって中国語を話すことができ、北京に住んでいたときにちょうど蓮舫氏が北京大学に留学しており、あこれがの人だったがことも明かすなど、中国との対立はとっくに終わったことのような雰囲気だった。
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