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燕三条文化財めぐりに27人が参加して長善館史料館や諸橋轍次記念館で「学問の史跡をたどる」 (2010.11.8)
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燕市教育委員会と三条市は合同で7日、燕三条文化財めぐりを行い、27人が参加して「学問の史跡をたどる」をテーマに燕市の長善館、三条市の諸橋轍次記念館をはじめ、両市の文化財をたずねた。
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7日行われた燕三条文化財めぐりで訪れた諸橋轍次記念館
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両市から20人ずつで募集したが、地元でのさまざまな行事などと重なったこともあり、燕市19人、三条市8人の27人にとどまった。
燕市文化財調査審議会の石黒克裕委員長と諸橋轍次記念館では羽賀吉昭館長が講師、案内役。燕市文化会館で初めて開かれた両市合同の遺跡展「燕三条遺跡展2010」を皮切りに燕市内の長善館史料館や日枝神社、西方寺の市指定有形文化財の十一面観音菩薩立像を見学。午後から三条市内へ移動して本都寺で市指定有形文化財の阿弥陀如来立像や諸橋轍次記念館で市指定文化財の諸橋轍次生家を見学した。
昨年初めて良寛をテーマに行ったのに続いて2回目の燕市と三条市の合同の文化財めぐり。両市ともそれぞれに文化財めぐりを行ってきたが、単独の市では文化財が少なく、毎年、似たり寄ったりの代わり映えしない内容になってしまう。
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諸橋轍次記念館で諸橋博士が西遊記の舞台に見立て夢想した八木ヶ鼻を指して諸橋博士の人柄を話す羽賀館長
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両市に範囲を広げたことで、合併前で数えれば6市町村がエリアになるので、大幅に魅力がアップ。順番に文化財を回るというだけでなく、テーマや体系をもった見学コースの設定が可能になった。
今回は「学問の史跡をたどる」がテーマで、燕市が天保4年(1833)に漢学者、鈴木文臺(すずき・ぶんだい)が吉田地区に創設した私塾、長善館の史料館なら、三条市は下田地区の出身で大漢和辞典を編さんした漢学者、諸橋轍次博士の記念館というわけで、地元が生んだ学問の学ぼうというわけだ。
諸橋轍次記念館では、羽賀館長が案内し、長善館とも対比させながら諸橋博士の業績を説明。晩年になってからそれまでの業績が高く評価され、「ネバーギブアップの精神の人だった」と羽賀館長。
この日は絶好の秋晴れに恵まれ、羽賀館長は紅葉が深まる八木ヶ鼻を指して、諸橋博士は西遊記が好きで、八木ヶ鼻を山々の西遊記の舞台に見立て夢想し、子どもに西遊記の登場人物を割り振ったというお茶目なエピソードも紹介していた。
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