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開校6年で全学年がそろった記念に県立燕中等教育学校芸術鑑賞会で校歌を作詞作曲したシンガーソングライター梅原司平さんのコンサート (2010.11.12)
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開校から6年、県立燕中等教育学校(小野島惠次校長・生徒473人)は全学年がそろって完成形となった記念に同校校歌を作詞、作曲したシンガーソングライター、梅原司平さんのライブを生徒にプレゼントしようと11日、燕市文化会館で芸術鑑賞会「梅原司平コンサート」を開いた。
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11日開かれた県立燕中等教育学校の芸術鑑賞会「梅原司平コンサート」で作詞作曲した梅原さんと生徒で校歌を全員合唱
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燕中等教育学校は2005年に県内では4校目の中高一貫校として開校。前期課程(1〜3年)と後期課程(4〜6年)に分かれており、6年目のことしで1年生から6年生まで全学年の生徒がそろった。
開校当時、燕高校教頭だった小野島校長は一度、梅原さんと会っている。学校公演は当時からの願いで、小野島校長は昨年、県内で開かれた梅原さんのコンサートも鑑賞。そして全学年がそろった記念にと今回、実現した。
毎年、外部から演奏家を招いて同校体育館で芸術鑑賞会を開いている。それを今回は梅原さんのコンサートとし、会場も燕市文化会館に移し、全校生徒がバスで移動して鑑賞した。
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ハイトーンの澄んだ歌声で魅了する梅原さん
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梅原さんは1946年富山県生まれ。1980年にメジャーデビューを果たすもヒット作に恵まれず、全国を旅しながら出会いと感動を重ね、1999年の朝日新聞「この人が読みたい」に紹介されて注目を集めた。
2008年にキングレコードから再デビューアルバム『愛あればこそ』をリリース。今もコンサートやCDを通じて広島、長崎への思いを歌った『折り鶴』や子どもたちへのメッセージソング『ここへおいで』など、魂の歌を全国に届けている。
梅原さんはピアニストの伴奏で、ガットギターを手にフォークソングをベースにした楽曲10曲余りを演奏した。学校公演など子どもたちの前で演奏する機会が多いこともあって、歌と語りで生徒をのせるのもお手のもの。アップテンポな曲では生徒から自然と手拍子が起こり、巧みな話術で生徒を歌わせたり、笑わせたりと飽きさせなかった。
いろいろなギターの音色を聞かせる楽器の授業のようなひとこまもあり、終盤は今もさまざまな形で原爆のつめあとが残る広島、長崎への思いや、食べ物も満足に手に入らない国の子どもたちの窮状なども切々と訴え、その思いや願いを託した歌を披露した。
この日のコンサートのスペシャルは、生徒との校歌の全員合唱だ。梅原さんは、当時の教諭から校歌の作詞作曲を依頼されて冬の燕市に取材し、後援会会長から地域から学校がなくなるかもしれない、学校がなくなるということは未来がなくなることという危機感を聞いた。
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開会であいさつする小野島校長
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「そんな思いを受けてこの学校はできました。その学校の思いを歌にするのは、しんどかったです」と梅原さんは話してから校歌を合唱。校歌の生みの親のリードで、数十人の生徒はステージに上がり、客席の生徒、見学の保護者も含めて全員で合唱した。
小野島校長は、昨年、同校校長に就いたときから、「ことしで1年生から6年生までそろいますので、その機会に校歌をつくっていただいた梅原さんの歌声、そして語り、思いを子どもたちにぜひ直接、聞いてもらいたいなあということが念願でしたので、それが実現できてとってもうれしく、そして感動しております」と節目にふさわしい行事になったことを喜んでいた。
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