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日本金属洋食器工業組合が2011年を金属洋食器製造100年と宣言してカトラリー検定をはじめ記念事業を実施 (2010.12.3)
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日本金属洋食器工業組合(田中正勝理事長・48社)と燕市は3日、燕三条ワシントンホテルで記者会見を開き、2011年を燕市で金属洋食器が製造されてちょうど100年目と宣言し、さらなる100年後につなげていくための1歩として行う、カトラリー検定の実施など数々の100周年記念事業の内容を発表した。
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左からキャペーン大使の「RYO」さん、鈴木燕市長、田中日本金属洋食器工業組合理事長
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カトラリー検定は、いわゆるローカル検定のようなもの。金属洋食器に関連した検定で、合格者には認定証などを交付する。2011年8、9月に検定講習会、11月に検定を行う。
ほかにも1月22日に燕市文化会館で100周年記念式典と丸山奈々子故郷コンサート、2月にギフトショー春2011出展、3月にえちご燕物産館町田店で洋食器即売会、5月に燕市産業史料館で企画展、7月に吉田産業会館で洋食器フェスタなどを行う計画だ。
記念事業のシンボルマークは、統一したデザインで字句を変えた赤、紺、緑の3種類あり、カトラリーの英語の頭文字「C」とスプーンの皿を組み合わせたレトロなイメージ。うち緑のシンボルマークは「カトラリー検定」とあり、商標登録を申請している。
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キャンペーン大使でキャンペーンソングも歌う「RYO」さん
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さらに原田乳業と白根屋による来年発売予定の100周年記念スイーツ2種類の試食を行い、キャンペーンソングも歌うカトラリーレジェンドキャンペーン大使「RYO」さんも紹介。「RYO」さんは加茂市出身、長岡市在住で、キャンペーンポスターのモデルにも採用されたが、歌もうまいということで歌い手にも起用され、「自分も気合いを入れないとと思います」とわくわくだった。
同組合は燕市の金属洋食器製造の始まりを、明治44年(1911)に東京銀座の十一屋の店員、野口併資が燕の捧吉ヱ門をたずねて洋食器の加工を依頼し、玉栄堂が製作したときとする。それから2011年でちょうど100年の大きな節目を迎える。
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田中日本金属洋食器工業組合理事長
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会見で田中理事長が宣言書を読み上げ、2011年を燕で金属洋食器製造100年と定め、金属洋食器の文化と伝統の心を伝え、さらなる技術技能の向上を図り、100年後にも引き継ぐことを宣言した。
田中理事長は、燕の洋食器製造は見よう見まねで始まり、材料の真ちゅうをはさみ、やすり、のこぎり、手動のプレス機などを使って製作し、爆発的に輸出が増えると米国での輸入制限、さらにはプラザ合意、円高と「いろいろな歴史の苦難を乗り越えて今日がある」。
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池田日本金属洋食器工業組合事務局長
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「われわれもこれから100年をもっともっと発展した状況で洋食器金属加工を作って行ければ幸い」、「このイベントを機にカトラリーが日本中に知れ渡り、1本でも売れてくれればと願っている」と話した。
鈴木力市長は、「これまで洋食器製造に携わってこられた方々に敬意を表したい」とあいさつ。記念事業となるカトラリー検定などは、実際に商売に結びつく企画をと産業観光と結びつけたり、「カトラリーソムリエ」などのアイデアも話し、「来年度100周年、新たな100年に向けてのスタートだということで、洋食器の文化、技術を発信し、燕に洋食器ありとあらためて全国に発信する取り組みを一緒になって取り組んでいきたい」と述べた。
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日本で初めて製造された洋食器
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会場にはギネスブックにも載っている世界最大のフォークとスプーンや初めて製造された洋食器の製造工程を再現したものも展示し、イベント性の高さを演出していた。
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