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新潟市・フジカラーアウラで秋山庄太郎写真芸術協会写友会員展新潟巡回展、捧武「かやぶきと生きる」開催中 (2011.1.4)

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1月4日から31日までフジカラー総合ラボ「フジカラーアウラ」=新潟市中央区紫竹山2=内の富士フォトギャラリー新潟で秋山庄太郎写真芸術協会写友会員展新潟巡回展、捧武「かやぶきと生きる」が開かれており、展示されている作品を撮影した燕市のアマチュア写真家、捧武さんが昨年12月20日に急逝し、思わぬ遺作展という形で捧さん偉業を伝えている。

1月31日までフジカラーアウラ内の富士フォトギャラリー新潟で開かれている秋山庄太郎写真芸術協会写友会員展新潟巡回展、捧武「かやぶきと生きる」

1月31日までフジカラーアウラ内の富士フォトギャラリー新潟で開かれている秋山庄太郎写真芸術協会写友会員展新潟巡回展、捧武「かやぶきと生きる」

秋山庄太郎写真芸術協会(高橋信夫理事長)が昨秋、秋山庄太郎写真芸術館=東京都港区南青山4=で同協会写友会員展を開き、3人の写友会員の作品を順に展示した。その皮切りとして10月1日から24日まで、第2回林忠彦賞受賞の捧武さんが2003年に出版した写真集『かやぶきと生きる』の収録作品が展示された。

今回の巡回展は、それらの作品をそっくり新潟に移して開かれており、『かやぶきと生きる』から全紙と四つ切りがほとんどの28点、うち1点は屏風に写真を4枚を張った作品だ。

屏風仕立てにした作品

屏風仕立てにした作品

すべてモノクロで、昭和30年代から刈羽郡高柳町(今の柏崎市)の荻ノ島地区で取材した昔ながらのかやぶきの家とそこに生きる人たちをとらえた。とくに昭和30年代の作品は、ニワトリ、ブタ、ヤギといった家畜とともに生きる人々、くったくのない笑顔、朽ち果てそうなかやぶきの家、深い雪と格闘する姿など、芸術性と同時に歴史的証人ともいえる記録的価値の高い作品も。見学する写真愛好者は「うまいねー」と思わず声を上げるクオリティーの高い作品が並んでいる。

昨秋、秋山庄太郎写真芸術協会写友会員展で秋山庄太郎写真芸術館を訪れたときの捧さん(右)

昨秋、秋山庄太郎写真芸術協会写友会員展で秋山庄太郎写真芸術館を訪れたときの捧さん(右)

10月に秋山庄太郎写真芸術館で開かれた秋山庄太郎写真芸術協会写友会員展では、捧さんも展示作業で会場へ足を運んだ。今回の新潟巡回展でも昨年12月29日にフジカラーアウラを訪れ、秋山庄太郎写真芸術館の上野正人館長らとともに展示作業などを行う計画だったが、それを待たずに亡くなった。

フジカラーアウラの浅井雄司店長は、店長になって7、8年になるが、それまで30年以上、新潟フジカラーの技術で働いた。捧さんは長く新潟県アマチュア写真連盟の事務局を続け、連盟の総会などでは新潟フジカラーの技術として浅井さんも同席。捧さんとは何十年来の付き合いになる。

捧さんとは何十年来の付き合いだったフジカラーアウラの浅井店長

捧さんとは何十年来の付き合いだったフジカラーアウラの浅井店長

一昨年、捧さんが燕市産業史料館に作品を寄付したときも、作品のパネルの手配を浅井さんに頼み、浅井さんもそのときに初めて捧さんのアトリエを訪ねたと言う。「長くお付き合いをさせていただきました」と浅井さんは寂しがる。

「笑い声が素敵で、笑い声で捧さんがいるのがわかったもんです」。東京へも何度も一緒に出掛けた。「ご自分の荷物より人に差し上げる荷物の方が多くて、気遣いをする人でした」。「追悼展になったのが残念」だが、「この機会に大勢の方にご覧になっていただきたいです」と話している。

木曜と日曜は定休日、開場は午前9時から午後6時半まで、最終日31日は午後3時まで。入場無料。問い合わせはフジカラーアウラ(電話:025-246-2272)へ。