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日本金属洋食器工業組合が金属洋食器製造100周年記念式典と丸山奈々子故郷コンサート、次の100年に向けた飛躍を誓う (2011.1.23)

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日本金属洋食器工業組合(田中正勝理事長)は、22日午後6時から燕市文化会館で金属洋食器製造100周年記念式典と丸山奈々子故郷コンサートを行い、燕市で洋食器製造が始まってからことしでちょうど100年になことを宣言し、この大きな節目を祝うとともに次の100年に向けた飛躍を誓った。

日本金属洋食器工業組合の金属洋食器100周年記念式典と丸山奈々子故郷コンサート

日本金属洋食器工業組合の金属洋食器100周年記念式典と丸山奈々子故郷コンサート

ことしは100周年を記念したさまざまなイベントが計画されているが、記念式典はその皮切りで、組合員をはじめ市民約400人が来場した。

カトラリーレジェンドキャンペーン大使「RYO」さんが司会

カトラリーレジェンドキャンペーン大使「RYO」さんが司会

カトラリーレジェンドキャンペーン大使「RYO」さんが司会し、金属洋食器製造100周年宣言で開式。田中理事長が演壇に向かい、イベントののぼり旗を後ろに従えて池田健男事務局長から受け取った宣言文を声高らかに読み上げた。

祝辞で鈴木力燕市長は、燕市の金属産業は江戸時代の和釘に始まる歴史があるが、洋食器という業種は「日本はもちろん、世界にまで燕市という名前をとどろかせたけん引車」となり、先人の取り組みに敬意を表した。

鈴木燕市長

鈴木燕市長

早稲田大学時代、燕市と言うと同級生の誰もが洋食器のまちであることを知っており、県職に就いて2つ目の仕事が産業の振興で、そのときからレストランでスプーンやフォークの裏を必ず見て素材やメーカーを調べるくせができたエピソードを紹介した。

 約400人が訪れた会場

約400人が訪れた会場

洋食器に関する知識を広めるために、この秋に行うカトラリー検定がひとつのゴールにさまざまなイベントが計画されており、「市長としても洋食器組合さんの取り組みをいろんな形で応援していきたい」とした。

その一環で洋食器に関する資料を整理して情報発信することに取り組んでおり、製品を販売職人の心や思いを伝える産業の過程を伝える産業観光にも力を入れるので、「どうぞ皆さん方もですね、この洋食器のまちにあらためて誇りをもち、そして注目が浴びられるように一緒になって応援していただければ」と総力の結集を求めた。

桜井県議 高井県産業観光労働部長

桜井県議

高井県産業観光労働部長

桜井甚一県議、県知事代理の高井盛雄県産業観光労働部長の祝辞のあと、田中理事長があいさつ。田中理事長は、金属洋食器製造100年を迎えたということは、金属洋食器産業が燕市で「大きな足跡を刻んだという実績であり、金属加工のまち燕の基礎になったという我々の大きな誇り」で、「次の百年につなげる大きな自信になっている」とした。

百年に一度という逆風にさらされているが、「この百周年をチャンスととらえ、皆さまの絶大なるご協力をたまわり、再び不死身のまち燕としてよみがえり、次の百年に向け、新たなるスタートを切り立い」と願った。

じぶしを突き上げて声高らかに決意表明する田中理事長

こぶしを突き上げて声高らかに決意表明する田中理事長

今後のイベントの概要を説明し、最後に「ここでさらに頑張るぞという意志をあらわし、誓いの気持ちを皆さまにお伝えしたい」と、右手のこぶしを突き上げて声高らかに「百年にわたるご協力に対して深く感謝申しあげます。今後の百年に対して大いに頑張ります。よろしくお願いします。ありがとうございます!」と述べた。

100年ビジョンを発表

100年ビジョンを発表

洋食器の歴史をナレーションや、プレス業者と番頭のかけあいの会話などをラジオドラマ風に再現した音声ドラマ「100年物語」を流したあと、組合員2人が100年ビジョンを発表。次の百年後には「燕にカトラリー製造に携わる人間国宝が誕生している」、「燕からスペースコロニーにカトラリーの専門店が世界初出店している」と右手を上げて宣誓するように発表した。

『新燕小唄』も披露して会場をわかせた青柳理事の特別講演

『新燕小唄』も披露して会場をわかせた青柳理事の特別講演

最後に長年、理事長を務めた青柳芳郎理事が特別講演を行った。今は会長職に就いている青芳製作所の創業から燕の洋食器産業の歴史を話した。来場者をわかせたのは『新燕小唄』の披露。昭和9年の東京日日新聞にも掲載されたもので当時、青柳さんも宴席で良く歌ったと言う。

旧中蒲原郡沼垂町生まれの芸者歌手、小唄勝太郎も歌ったとか。青柳さんは「歌は下手なので歌ったことはない」と言いながらも、「歌うようなつぶやきを」と2番まで歌うと自然に手拍子がわき、歌い終わると大拍手だった。

きょうの百周年記念を期しまして、「今こそピンチをチャンスに前向きなチャレンジ精神、燕っ子魂を躍動するとき」と締めくくり閉式。続いて丸山奈々子故郷コンサートに移り、燕市出身のソプラノ歌手、丸山奈々子さんが2部にわたって演奏を披露した。

燕市出身のソプラノ歌手、丸山奈々子さんによるコンサート

燕市出身のソプラノ歌手、丸山奈々子さんによるコンサート

『新燕小唄』

  1. 全国は 云うもおろかよ国際的の
    品は燕の洋食器 ツンツン燕の云うことにゃ
    越後の燕は縁のまち
  2. 燕町 廻るモーターよ響くはハンマー
    街は明るい ほがらかさ ツンツン燕の云うことにゃ
    越後の燕は縁のまち