16日に三条市が福島県南相馬市からの避難者約300人を受け入れたのに続き、17日は燕市が同じく南相馬市からの避難者141人を市内2カ所に設けた避難所に受け入れた。
燕市民武道館に67人、防災センターに74人を受け入れた。当初、燕市民武道館では、同じ燕市体育センター内にあって階の異なる燕市民研修館と2カ所に分けて受け入れる予定だったが、分散することで人手などが多く必要なことから、燕市民武道館だけを使うことにした。
避難者は午後6時半、観光バス2台に分乗して到着。鈴木力市長、藤沢健一教育長が出迎えた。燕市民武道館は競技用の畳が敷かれた柔道場を宿泊部屋に利用。避難者が到着する前に布団を敷いておき、高齢者が中心の避難者は、すぐに布団の上で横になった。
避難者が一息ついたところで、鈴木力燕市長があいさつ。「今回は本当に長い期間、長い距離を移動してこられて本当にお疲れさまでございました」とねぎらい、医師4人、看護師2人を手配しており、「何なりと具合が悪い、あれがないかというようなことを申しつけてください。燕市としては皆さんを最大限、応援したいと思っております。どうごごゆっくりお休みください」と述べた。
三条市の避難所でもそうだったように、南相馬市での避難所では風呂に入ることができず、鈴木市長が風呂もわいていることを知らせると、「おーっ」と喜びの声が上がった。医師が健康状態を聞いて回ると笑顔がこぼれた。すぐにご飯とおかず、みそ汁を提供した。
避難所は南相馬市の異なる避難所から集められたため、それまでの避難の環境はまちまちだが、コンクリートの床に毛布を敷いて寝ていた人もあり、柔らかな畳の上のふかふかの布団だけで感激だった。
誰もが身近な人を地震や津波の被害で失っている。被災場所が違ったために、家族と離れて避難している人も多く、今も家族の安否がわからない人も。「生きてるだけでもうけもんだ」、「近所のうちは家族全員、死んでしまった」。生死をわけた理由はさまざまだ。
体育館のロビーで公衆電話を使っていたお母さんは、受話器を置くなり、「おとーさん!あきこ無事だって!」と叫んだ。無事が当たり前だった日常が大震災で一変した。
震災から1週間。3晩を車中で過ごした女性は、地震で割れた厚いガラスを片付けていて指を切ったが、薬などがなく、ばんそうこうを求めていた。以前にも燕三条に来たことがあり、仕事で三条市のヤマイチが取り引き先だったなどと話していた。
暖かい食事が久しぶりという人も多く、食事前にしっかりと両手を合わせる人もいた。