燕市が福島第一原発の事故で避難域となった福島県南相馬市からの避難者の受け入れを始めて4日目となった20日。「世話になってばかりで申し訳ない」、「ちょうど体がなまってきたところ」と、消防本部防災センターで避難生活を送る人たちが自主的に組織づくりし、風呂やトイレの掃除当番を始めた。
防災センターの避難者は94人。21日には98人に増える。掃除にあたるメンバーは、下は16歳の高校生から年の若い順に50歳代まで男24、女6の30人。10人ずつ3班に分けて各班が日替わりで担当する3日のローテーション。班長も決めた。
毎朝、担当の班が男性8人で風呂と男子トイレを清掃し、女性2人で女子トイレとお茶回りの清掃を行う。初日20日、風呂の床にはデッキブラシをかけ、浴槽は洗剤を使ってブラシでこすり、トイレはモップで掃除した。
この“作戦”を指揮する南相馬市のリーダーは、会社員西内文夫さん(58)。夫婦と母の3人暮らしで、3人そろって同センターへ避難できた。西内さんの家のある集落は75軒ほどあり、海から300メートルほどしかない西内さんの家は地震から1時間近くたってから津波に見舞われた。地震は、「ガタガタガタっとたたきつけるような感じだった」と西内さん。
津波が来たと思ったら、あっと言う間に1階が床から高さ1.7メートルほどの高さまで海水につかった。西内さんは1階にいる母を慌てて2階へ上げて無事だった。西内さんの家はやや高いところにあり、それより上にある2軒を除いて集落のほかの家はほとんど津波に流されたと言う。
津波の来る直前、家の前で5人が話し込んでいたが、津波にのみ込まれ、うち2人を西内さんが救出。寒さに震えていたが幸い、翌朝に自衛隊のヘリコプターで救出されて一命は取り留めた。
地元の鹿島中で2泊してから燕市へ。鹿島中では暖房のない体育館で寒さに耐え、食事と言えば、冷えたおにぎり。燕市の防災センターは、もともと避難所としての機能を備えており、「下着でも寝られるくらいあったかい」、「生活はいいですね。まるで天国だわね」と西内さんは喜ぶ。
それだけに、掃除当番をすることも「当然です。それは当たり前と思ってますからね」。もっとも、家では風呂掃除は「やっていません」と笑う。
避難者のなかに西内さんの知り合いは職場の同僚1人だけ。ほかは誰も知らないので、みんなが協力する気はあるのに遠慮し合って、なかなか行動に移せない。そんなときに声を出すのが西内さん。掃除当番初日も西内さんの声かけで集合し、掃除に取りかかった。
防災センターで支援を担当する職員も、西内さんのリーダーシップに期待している。ただ、燕市民体育館の避難所に避難している人たちは高齢者の割合が多く、どの避難所でもできることではないが、避難は長期化が予想されるだけに、避難者と支援者が互いに敬意を払ってコミュニケーションする形が今後の運営をスムーズにしてゆく鍵になるかもしれない。