新潟県は、市内の一部地区が福島第一原発から半径20km圏内の避難指示が発令された南相馬市の被災者を中心に、県内の避難所に受け入れている。その避難所で生活を送る市民を見舞い、要望を聞き、支援してゆこうと、南相馬市で指揮をとる桜井勝延市長に代わり、青木紀男教育長と鈴木好喜原町区役所長ら市職員数人が22、23の2日間の日程で県内の避難所を順に訪問している。
22日は聖籠町、燕市、三条市の順に避難所を訪問。燕市は第1避難所の消防本部・防災センターと第2避難所の市民研修館・武道館を訪問し、市民研修館・武道館へは鈴木力燕市長の案内で午後3時半過ぎに訪れた。
青木教育長は市民の前であいさつ。地震、津波、そして原発事故が重なり、11日から1週間、南相馬市やそのほかの市町村へ市民に避難してもらい、さらにそこも危険なため燕市の避難所へ移ってもらった経緯を話し、市民の健康や疲労を心配した。
「まだまだ、どうなるか予断を許すことができませんが、向こうの方で原発の方が解除になればですね、元に戻れるようになりますので、今しばらく皆さんで力を合わせて、そして助け合って生活をしてやっていっていただきたい」と求めた。
4月6日は南相馬市の小中学校の入学式、1学期の始業式だが、学校に戻れなければ「燕市さん、新潟県の方にお世話に」なり、「燕市さんの教育委員会でも心配していただいておりますので、燕市さんの小学校や中学校にできるだけまとまった形で入れるように手配をしてくれる」ので「ご心配なく待っていただきたい」、そして訪問が遅れたことに「遅くなって大変、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
鈴木市長は「燕市の方で南相馬市さんの代わりに精いっぱい、いろいろ対応させてもらいますんで、どうぞご安心してください」と話した。
避難している人たちの取りまとめ役の“村長”として元市職員の佐藤賢二さん(59)=南相馬市鹿島区=が歩み出て、みんなの現状や要望を伝えた。佐藤さんは同所の避難者名簿も作成しており、「燕市の市長をはじめ職員の皆さんのおかげで十二分な避難生活を営んでおりますのでご安心ください」と話すとともに、地元の放射能の数値をインターネットで調べているが、原町区での測定値の情報提供を求めた。
また、鹿島区役所万葉ふれあいセンターに避難していたという男性は、青木教育長らに「毎日モヤシ食って、冗談じゃねーぞ」、「何ひとつ連絡もしねーで。みんなボランティアさ、任せきりだった」。男性は5人家族だったが、自分以外の4人が震災の犠牲者となり、やり場のない怒りをぶつけた。
その一方で鈴木原町区役所長の手を両手で握り、命があったことを喜び、目を潤ませ、声を震わせる男性もいて、被災者の心に刻まれた深いつめあとが感情となって噴き出していた。
青木教育長らは、避難所で聞いた要望などを持ち帰って検討する。また、常駐か巡回かは決めていないが、各避難所に市民とのパイプ役となる市職員を配置する。25日に最後の避難者をバスで送るので、それにあわせて配置を予定している。