燕市・長善館に学び、日本医科大の前身、済生学舎を創設した長谷川泰(はせがわたい)を敬慕する「長谷川泰を語る会」は24日、御当地伝記マンガ『長谷川泰ものがたり』50冊を燕市教育委員会に寄付した。
長谷川泰は1842年(天保13)長岡藩領福井村に生まれた。漢学者、鈴木文台(1796-1870)が創設した長岡藩粟生津村(今の燕市粟生津)に開いた私塾、長善館に学び、神童とも呼ばれる優秀な塾生だった。
西洋医学を学び、戊辰戦争では河井継之助(1827-68)から軍医に抜てきされた。1876年(明治9)、東京に開校した済生学舎はのちに日本医科大学となった。済生学舎では、野口英世(1876-1928)も入学した。
一方、初の国会で衆議院議員となり、伊藤博文首相の要請で内務省衛生局長に就任。日本初の下水道法を成立させ、江戸時代の終わりから明治にかけて近代国家に姿を変えようとする日本の屋台骨を築いたひとりと言える。
その功績を今に伝えようと昨年、長岡市新組地区の町内会が中心となって語る会を発足。まずは子どもたちにも楽しみながら長谷川泰を知ってもらおうと目をつけたのが漫画化。というのも、語る会の理事長、恩田利平太さん(62)の長男、富太さん(35)は広告デザインを手掛け、富太さんの妻、周子さん(33)は元イラストレーターで漫画を描け、漫画制作には願ってもない環境だ。
富太さんがストーリー、周子さんが漫画を担当。長谷川泰の生涯を漫画化するため、取材に半年、それから制作に半年を費やしてA5判、127ページの作品が完成、3月18日に発刊、2,000冊を印刷した。
制作を進めていた昨年9月、燕市と接点ができた。新潟市・朱鷺メッセで開かれた東京新潟県人会で富太さんは燕市の広報紙を制作する担当者と知り合った。担当者が長谷川泰を知っていたということで、長谷川泰と燕市の長善館のかかわりも広く周知しようと意気投合。「広報つばめ」の3月1日号の「今月のこだわり」で「長谷川泰のマンガで長善館のスゴさを知る!」で4ページの特集を組んだ。
そうした縁で燕市の子どもたちからも長善館が生んだ長谷川泰を知ってもらおうと、作品を寄付した。24日は恩田さん家族や語る会会員らが燕市長善館史料館を訪れ、藤沢健一教育長に目録を手渡した。50冊は市内各小学校と図書館に2冊ずつ配る。
すでに読み終えた藤沢教育長は、「読みはじめると止まらない」傑作で、ハイライトの長谷川泰の言葉に、「そこをまた引き抜いてくるところがすごい!」、「僕、実はこのページで拍手してしまいました!」と興奮気味に大絶賛していた。
富太さん夫婦は、これまで長谷川泰のことをまったく知らなかった。制作にあたっての苦労について富太さんは、長谷川泰の医学や下水道での活躍は専門家や先輩が本に書き残しているが、それ以前の郷土史にはあまり記録が残されてなく、郷土史のなかで長谷川泰がどうだったっていうのはゼロから調べましたんで、その辺りが時間がかかりました」と話していた。
周子さんは、「最初はわりと東京を中心の展開だったんですけれども、やっぱり地元をもう少し膨らましてほしいということで、でも幼少期とか青年期とか記録っていうのがほとんどないので…」と難しさを振り返っていた。
語る会では、長谷川泰の銅像を建てる計画も進めている。昨年は長谷川泰と交流のあった偉人ゆかりの地域の少年野球チームを招いて長谷川泰翁杯親善少年野球大会を開いており、燕市分水地区から鈴木文台「分水ベアーズ」が参加。ことし燕市吉田地区からも参加をしてもらうことしにしている。
『長谷川泰ものがたり』はいずれ長岡市内の書店などに置いて販売してもらう計画だが、まだ書店では手に入らず、購入したい人はメール「taisensei@me.com」や電話「0258-24-3123」で語る会事務局の恩田さんへ問い合わせる。