三条市は東日本大震災の被災者の受け入れに関するさまざまなアイデアを次々と展開している。家庭で受け入れる民泊もそのひとつだが、実は国定勇人市長(38)も親せきとはいえ、8人を受け入れ中。4人家族が一気に12人の大家族となり、てんてこ舞いの毎日だ。
国定市長の妻、律子さん(39)の実家は福島県福島市。国定家に身を寄せたのは、律子さんの両親と、同じく福島市に住む律子さんの姉、相良和子さん(40)とその小学校5年生の男の子と1歳の女の子の2人、和子さんの夫の弟の妻とその5歳と7カ月の男の子の2人で計8人。それに国定市長の8歳の男の子と3歳の女の子で、おとな、子どもが6人ずつの構成だ。
律子さんの父以外は震災から5日目の15日明け方に来条。和子さんの夫の妹家族5人と父は18日に到着し、父は国定家に身を寄せたが、ほかの5人はアパートを借りて滞在し、29日に福島へ戻った。律子さんには妹の高橋ゆりさん(38)もあり、年子の3姉妹。ゆりさんが住む千葉県千葉市でも液状化などの被害があったと言う。
姉の和子さんの家は無事だったが、家財道具が倒れて家の中はめちゃくちゃに。電気、水道が止まり、石油ストーブで暖をとることはできたが、できるだけ厚着して過ごし、夜は懐中電灯が頼り。トイレの水にも事欠いた。
買いだめで次々と店がシャッターを閉めた。ガソリンが手に入らなくなると少しでも節約しようと、「こんなに人がいたのかと思うほど、みんな歩いてました」と和子さん。町の風景が変わった。とにかく、「物がなくなるのがパニックでした」。
国定家に来てトイレの水を流す久しぶりに聞く音に、子どもが驚いた。震災からわずか数日で「すっかり被災者になっていました」と和子さんは振り返る。律子さんも今だから福島から避難してきたときの和子さんのことを「被災者の顔してました」と笑って話せる。
家族が増えて大変だろうと、知り合いや友だちからコメやそば、ベビー用のいすなど“物資”が届き、「三条の人は本当に優しいんです」と律子さんは感謝する。
何しろいきなり子どもが6人。物は壊したり、ガラスは割ったり、家の中はしっちゃかめっちゃかに。そのうえ、避難してきた子どもたちは、熱が出たり、ネコアレルギーやウイルス性の湿疹(しっしん)が出たりで次々とダウン。震災後のストレスは明らかだった。「2週間たってようやく落ち着いてきた感じです」と律子さんは一息つく。炊事、掃除、洗濯の当番も決めて生活が順調に回り出した。
律子さんと和子さんは互いに何度も行き来しているので、子どもたちも仲良し。最初はけんかすることも多かったが、子どもたちなりに力関係のバランスをとり、今では上の子が下の子の世話をすることも。自然とそれぞれの位置や役割を考えるようになった。律子さんと和子さんのそれぞれの長男は29日、2人で新幹線に乗って国定市長の実家のある鎌倉へ遊びに行っている。
一方で、突然の大家族での共同生活によって生まれるストレスもある。国定市長は漫画『サザエさん』にならって「マスオさん状態ですよ」と笑いにするが、律子さんは「2日に1度は爆発してます」と苦笑い。「集団生活は3週間くらいが限界かな」、「3週間と期限が決まれば、それまでまた頑張れるので」、いい状態のまま次のステップへと、和子さん家族はもう1週間でアパートへ移り、子どもは市内の学校へ通わせることにした。
律子さんは仲のいい姉妹ではなかったと言うが、大学は東京で3人姉妹で生活。3人はいつも一緒だった。互いに子どもをもつようになって距離が縮まった。
原発事故による放射能の影響もあり、和子さんは先行きに不安も抱えるが、この経験を「マイナスではなく、前向きに考えていこうと思っています」。その横から律子さんは、和子さんがストックバスターズで食器を買いそろえ、この機会に生活を「グレードアップしようとしてる」とちゃかせば、和子さんもいわば三条市のファーストレディーとなった律子さんに「あの律ちゃんが…」と応酬。思いがけず姉妹の絆を再確認する時間にもなっている。