市内3カ所に東日本大震災に伴う避難所を設置している燕市は、年度替わりで体制が変わるタイミングにあわせて3月31日夜、第1避難所の防災センターで鈴木力市長と避難している人たちとの懇談会を初めて開き、市から情報提供するとともに避難生活を送る人たちの声を聞いた。
燕市が集団で避難する人たちの受け入れを開始したのは3月17日。大半が福島県南相馬市の被災者で、主に第1避難所の消防本部防災センターと第2避難所の市民研修館・武道館で合わせて200人前後を受け入れている。
避難所開設から2週間がたち、避難所の運営が軌道に乗ってきた。避難している人たちの自主運営で職員の負担が減っているが、長期化が予想されることから体制の縮小が必須。年度替わりの職員の異動で新しい職員の紹介も必要になった。
鈴木市長は毎日、避難所に顔を出しているが、あらためて避難している人たちの声や要望を聞き、これからの避難所の運営に反映させようと懇談会を計画したもので、翌4月1日にも第2避難所で懇談会を開く。
31日の防災センターでは鈴木市長や藤沢健一教育長、大岩勉市議会議長、さらに燕市社会福祉協議会や燕署など行政側から十数人が出席し、同センターの避難者は94人のうち約50人が出席。鈴木市長は今後もホストファミリーの募集など新たな支援を示した。
体制は縮小するが「今まで以上に皆さんのことをしっかり応援したい」とする一方、配膳や救援物資の仕分けなどに「今まで以上のお手伝いをお願いしたい」と協力を求めた。
同センターに担当職員1人を詰めさせていたが、異動もあって4月からは担当を日替わり制の5人組で回すことにし、その5人が自己紹介。藤沢教育長は、小中学生は市内小中学校で受け入れ、文房具などもそろえるとし、燕市社協は10万円以内、特別で20万円以内を2年以内の償還で無利子で貸す生活福祉資金貸付制度を案内した。
この日、鈴木市長は南相馬市の桜井勝延市長と電話で話した内容も報告。桜井市長は避難している市民の元へ行かれないのを申し訳なく思っており、原発の問題は拡大している印象を受け、この状況が長期化をすることを覚悟してほしいと話していたことを伝えた。
避難所でのリーダー役の会社員西内文夫さん(58)=南相馬市=は、「われわれは本当に帰れるところが今、ないですから、申し訳ありませんが、ひとつ、もう少しよろしくお願いします」。「皆さんはふるさとへ帰りたいのがいちばん」で、南相馬市では店が営業しているのか、ガソリンが入れられるのかといった正しい情報がほしいと話した。
これまでに3度、ボランティアで南相馬市へ戻り、現状を見てきた男性は、「大型バスで避難しろと言われてこっち来て。職員を配置すると言ったが、今もって誰も…」と憤った。報道では南相馬市に物資があるように伝えられるが、実際は食パンが1人1枚だったり、1日にカップヌードル3個だったりが実情。燃料もなく、そうした実情を伝えほしいと求めた。
ほかにも、集落の長がバスを見送ってあとで迎えに行くと言ってくれた所もあれば、「集落の長が自分だけいなくなるということは、わたしは非常に残念です」と言う人も。南相馬市の苦境や、行政の対応、報道に対する苦言がほとんどで、燕市の対応に関する話はなかった。
それどころか「迷惑をかけて申し訳ありません」という声が上がり、鈴木市長は「決してわれわれは迷惑だとは思っていません」と繰り返し、県内で相次いだ震災の「恩返しができると思っています」、「何でも遠慮なくおっしゃってください」と求めた。
避難している人たちからの発言は少なくも、西内さんは「みんな無口なもんで…」と言えば、鈴木市長も「新潟県民もどちらかといえば無口な方」。少しでも本音をくみ取ろうと、前日30日には玄関にアンケート回収BOXも設置。しょっちゅう避難所を訪れているので、「ぜひ迷惑だなんて思わないで、どんどんおっしゃってください」と話していた。