燕市は9日、市内の避難所から市営住宅に初めて入居した2世帯に、市民から寄付されたコメ、コシヒカリ90キロをプレゼントした。
午前10時半に福島県から燕市に避難している2世帯6人が入居した吉田地区の市営住宅を鈴木力市長が訪れ、避難している人たちのために使ってほしいと燕市に寄付されたコメを手渡し、子どもたちにはポケモンのぬいぐるみとカードゲームをプレゼントした。
燕市にたくさんのコメが寄付として届けられているが、今回は本町、富永地区で市民が自主的に集めたもの。避難している人たちのために役立ててほしいと農家の自家用のコメなどが集まった。
市営住宅に入居したのは、福島県南相馬市の姉妹親子で、姉の遠藤洋子さん(37)と南相馬市立原町第二小学校に通っていた小学生2人、遠藤さんの妹の板倉美奈子さん(33)と同市立太田小学校に通っていた小学生2人の2世帯計6人。
遠藤さん姉妹は、地震発生後は南相馬市の避難所に、次に宮城県の避難所、その次に福島県飯坂温泉の避難所に移り、燕市に親類がいたこともあって燕市へ避難した。遠藤さんらの両親も県内に避難しており、夫は一緒に避難したが職場の関係で福島に戻っているという。
遠藤さんの自宅は、津波で流された。残ったのは基礎だけ。遠藤さん自身も自動車ごと津波に流され、「九死に一生を得た」と言う。
職場で地震に遭い、すぐに自宅に戻ると家の中のものはすべて倒れていた。子どもたちを迎えにいこうと車に乗ったところ、2階建ての屋根ほどの高さの津波に車ごと飲み込まれた。
車の中に水が入ってきたが、一カ所だけ空気のたまった場所があり、そこに顔を出して息をしていると、流木などが当たって車の形が変わり、頭をはさまれた。「こんなところで死んでられない」と、なんとか頭をはずし、いったん水の中に潜った。
運よく車のガラスが割れて、息はできるようになった。水がひけるまで車の中にいて、よそのおばあさんたち3人に発見してもらい引っ張り出してもらった。その場所は、2階建ての住宅の屋根の上だった。
鈴木市長は、大変でしたねとねぎらうとともに、「避難所を離れても、困ったことがあったらいつでも相談してください」と話すと、遠藤さんたちは礼を述べていた。