燕市が市民研修館・武道館に開設している第2避難所で15日、避難している人たちによる畑仕事が本格化。近所の人が無償で貸してくれた農園でジャガイモの種イモの定植と花の種まきが行われた。
種イモは、アンデスレッド5キロ、シャドークイーン4キロ、ノーザンルビー2キロの3品種で計11キロ。花はアスター、キンギョウソウ、ケイトウダリアの3品種の種をまいた。
この農園を取り仕切るのは吉井功さん(65)=南相馬市鹿島区南右田=。ジャガイモのシャドークイーンは紫色で、「赤はあるけど、紫のは初めて見た」とふるさとでは出会ったことのない品種に興味津々だ。
元は個人のトラック運転手で、妻レイ子さん(64)と二人で暮らし、畑や田んぼで働く悠々自適の生活だった。仕事で燕三条周辺に来たことがあるが、「よもや、こんな形で…」と“避難”で燕市に来るとは思ってもみなかった。
津波で親せき、義理のきょうだいなどを失った。吉井さんの住む南右田は、海岸部。南側に真野川が流れる。津波前の引き潮で川の水が干上がり、川底が見えた。義兄の元へ向かう途中、太平洋の海が黒くなってるのを見た。
南右田集落は約70戸あったが、すべて津波にのみ込まれた。吉井さんは避難所へ入ったのがいちばん最後だったので、犠牲になったと思われたがレイ子さんにうながされて避難したおかげで、助かった。
燕市へ避難してから一度、3日間だけ一時帰宅した。「ふるさとは惨たんたるありさま」で「どうにもこうにもならない状況」。Google マップの航空写真を見ても構造物がほとんど形をとどめていない。「戻れば悪いことばかり。いいことがひとつもねえ」と現実を直視できず、話すうちに目が赤くなる。
南相馬市では、1千年以上の歴史の国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」が毎年7月に行われる。その日のために集落のほとんどの家がウマを飼っている。吉井さんの家のウマは一命を取り留めたが、津波で体が傷だらけになり、緊急時に屠場以外で屠殺する“切迫屠殺”の道を選ばざるを得なかった。
「家庭にもいろんな人生ドラマがある」。中国から嫁いだ奥さんの夫が亡くなった。なのに「その子どもが無邪気に元気なのが切なくて…」と声を詰まらせる。
集落の3分の1くらいの人が今も行方不明。75センチほど地盤沈下して水がひかず、とても帰って生活できるような状態ではない。
それでも畑仕事の話になると笑顔が戻る。6年間、食べずに育てて増やしたジャンボニンニクが一瞬で津波にやられたのにはがっかりだが。「去年はスイカが大豊作だった」と顔をほころばせる。
ひと通り何でも栽培し自家野菜は夫婦2人では食べきれず、近所におすそ分けした。「何もしっことないから(畑には)草一本、生えてなかった」。「奥さんがそういう性分だから」とレイ子さんを横目で見ながら笑う。
後ろを振り返ってばかりではない。「農作業が始まると第二のふるさとになる」。だから畑を「楽しみにしてんだ」。何を作ればいいか「注文を受けるようにして」、「この地に適したものを作るんだ」。畑仕事の始めることが吉井さんにとって再出発の原点になると信じている。