鈴木力燕市長は18日夜、第1避難所を開設している消防本部・防災センターで16日に福島県南相馬市が用意した送迎バスで同市へ一時帰宅した人たちと懇談。被災地の生々しい現状に鈴木市長も悲痛な表情で耳を傾けた。
東日本大震災に伴って主に燕市内2カ所に避難所が開設され、避難している人のほとんどが南相馬市民。16日、南相馬市の手配で2カ所の避難所で合わせて23人が一時帰宅し、6人が帰宅した。
一時帰宅は日帰りで、現地では約3時間の短い滞在だったが、そのようすを聞いて情報を共有し、今後の避難所の運営や避難している人たちの支援に役立てようと懇談したもの。第1避難所から今回、一時帰宅した人やそれ以前に一時帰宅10人余り、燕市へ派遣されている南相馬市職員や菊地剛副市長も出席した。
テーブルに地図を広げ、一時帰宅した人たちは順に場所を指し示しながら説明した。人や車が増え、生活道路もほぼ通行できるようになり、重機が入り、片付けも進んでいる。原町区はコンビニ店がオープンしていると報道されるが、商品がわずかしかない。
今回行ったら元の場所に戻したテレビが余震で再び落下していた。遺体安置所は、顔を見てもまったくわからない状況。原発関連で働いてたいた男性は、スクリーニングで体表面で500カウント、くつ底で1,000カウントだったことに「そんな所にいたくない」。
早朝、バックや金庫、金目の物を探している人がいる。堤防が決壊し、はるかかなたから海が見える。今は3メートルの津波でも大きな被害が出るような状況になっている。
また、21日は一時帰宅とともに再び南相馬市へ向かい、桜井勝延市長と平田武市議会議長と会う約束を取り付けたと言う。福島県庁の窓口を新潟に開設してほしい、桜井市長に避難所を回ってきてもらいたいという要望もある。
燕市へ避難してから1カ月以上がたつが、鈴木市長は初めて避難するまでの経緯を聞いた。鈴木市長はこれまで避難している人たちの気持ちを思いやってあらためて聞いたことがなかった。
多くは何度が南相馬市の避難所を移り、南側の浪江町から南相馬市の避難所へ移った人も。燕市行きのバスも申し込みがあり、申し込みの早かった順に20何人かで締め切りになった。
避難所に入って燕市に移った人は「天国」と言うが、一方で「どうやって(避難を)知ったんだ?て、避難を知らずに自宅待機してる人がいる」。市は防災無線で避難所を伝えたが、いくらバッテリーがあっても防災無線が浸水していては役にたたず、情報が周知されなかった。
3号機の爆発の音を聞いた人もいる。職員には動揺があったようだが、避難している人には何が起こっているのか知らされなかったと言う。「市の職員も逃げてんじゃねーか!」と当時を思い出して声を荒げた。
今となっては「役所も混乱したのは間違いない」、「役所も機能しなくなってがちゃがちゃだった」と一定の理解を示す。
地震保険がどうなるのか。ハウスメーカーも放射能を怖がっているようで、仮設住宅の建設も遅れているようで、不安は多い。しかし問題の核心はやはり放射能の問題。「俺はいいんだ、あと10年先か20年先か、生きてねーんだから」、「こうなったら移民するか。これは戦争なんだ。津波で何もなくなった」と投げやりな言葉も。
将来医については一枚岩ではないと思われるが、ひとりの男性は、「全員家族だと。みんな一緒に頑張ろう」と始めたから、「自宅に帰ったら負けですよ。交渉の道筋がないですから」。「ここにいれば避難者全員で一致団結でき」、「解決方法をみんなでやっていうというのが考えです」と団結の意識は高い。
今週末には避難している人たちを分水の花見に招待する計画。「大っぴらに酒が飲める機会だと思いますんで」とニンマリ。それまで声を詰まらせたり、絶句してしばらく沈黙が続いたり、すすり泣きが響いたりということもあったが、最後は相馬市民にも笑顔が浮かんだ。