8日に三条鍛冶道場駐車場などで行われる「第1回三条削ろう会 東日本大震災復興祈願・三条記念事業」を前に、メーンの「200年杉御柱建て」の高さ10mの御柱の製作が4日から行われており、古来からの技術「斧はつり」を受け継ぐ3人の大工の手で樹齢約200年の丸太から角柱へと姿を変えている。
御柱建ては、7日と8日の2回行われ、7日午後2時から高さ5メートルの100年杉を、8日午後1時から、現在製作中の200年杉御柱建てを行うもの。8日は、三条市に避難している福島県南相馬市の人たちにも斧を入れてもらって完成させ、三条市民とともに綱を引き、復興祈願の御柱を建てる。
200年杉御柱になるのは、三条市下田地区の山で天に向かって真っすぐに伸びた樹齢約200年のスギの大樹。長さ約30メートル、根元は直径約1.2メートルで、4分割にして3日に会場の同駐車場に運び込まれた。4日午前11時から神事を行ったあと連日、作業が行われている。
神事は、神明宮の三上宮司のもと行い、同記念事業実行委員会の名誉会長の国定勇人三条市長、顧問の高橋一夫前三条市長、委員の馬場正行三条削ろう会会長、同大会実行委員会の渡辺文彦委員長をはじめ、斧はつりを行う大工の3人などが列席。作業の安全と復興を祈願した。
御柱は、丸太から人間の腕で角柱を作り上げる「斧はつり」という古来からの技術で製作している。その技術継承の第一人者、山梨県の雨宮国広さん(42)と、茨城県の山崎伸一さん(52)、長野県の下平剛志さん(34)の3人が丸4日間かけて、根元部分は一辺が60センチ、上部分は一辺45センチの四角柱に仕上げる。
初日4日は、神事のあとすぐに作業開始。大きな丸太に乗り、おのやちょうなと呼ばれる道具を振り下ろして焦げ茶色の皮をはぎ、まだみずみずしい木肌が現れた。2日目の5日も五月晴れの下、午前7時から午後6時ころまで作業。夕方ころにはすでに四角い柱の形に近づいていた。
雨宮さんは、「逆らわず、木の命を生かすように作業している」と言い、「そういう仕事が、人の命を生かすことにつながっていく」。日焼けした額に汗を光らせ、手を休めずに作業を続けていた。
また、道具箱の中からガマガエルにみたてた石を取り出した山崎さんは、「避難している人たちがいると聞いたので、一日も早くふるさとに帰られるようにと、験(げん)を担いでカエルを持ってきた」と話していた。
金づちで鉄をたたく鍛冶道場のいつもの金属音とは違い、「コーン、コーン」と木の音に誘われるように、近所の人や通りがかった人が駐車場を訪れており、職人の技や三条とも縁の深い道具を興味深そうに見詰めている。