燕市は、東日本大震災に伴う被災者の受け入れが減ってきたことなどから、第1避難所の消防本部・防災センターと第2避難所の燕市体育館センターを17日をめどに第1避難所1カ所に統合する。
燕市は個人的に避難した人を受け入れたふれあいパーク「手まりの湯」を含め、最大で3月22日に市内3つの避難所に合わせて213人を受け入れた。
その多くは福島第1原発事故による影響が心配される福島県南相馬市の市民。震災から1カ月がたったころから帰宅する人が増え、この大型連休でさらに加速。10日には第1避難所17人、第2避難所47人の64人とピーク時の3分の1以下に減った。
第2避難所で避難した人たちが生活する柔道場は、敷いたふとんで畳がほとんど見えなかったのが、今は畳の見える面積の方が広いくらいだ。
第1避難所は避難を想定したした施設を利用しているが、第2避難所は燕市体育センターの武道館と研修館の一部を使っているため、それらの一般開放を再開させたいこと、さらに夏に向けて第2避難所には空調設備がないことから、避難所としての機能を備えた第1避難所に統合することにした。
第2避難所が第1避難所に統合されることについて、第2避難所のリーダー、吉井功さん(65)=南相馬市鹿島区南右田=は、「何の異議もありません」。15日の午後にいっせいに引っ越しする計画で、「部屋も掃除して明け渡します」と午前中は大掃除する計画だ。
燕市が避難の受け入れを開始したのは3月17日。体育館は4月初めに利用を再開した。そして受け入れからちょうど2カ月で燕市体育センターは施設利用を全面的に再開する。
福島第1原発は大きな変化はないものの今も放射能もれが続く。帰宅は難しく、避難の長期化が予想されたなかで、意外に早く2カ月での避難所統合となる。
一方、南相馬市はふるさとへ戻る市民が増え、仮設住宅の建設が進んでいるものの暮らす家が無く、逆に避難所を増設している状況。単純に生活だけを考えれば、新潟などの避難所の方がずっと暮らしやすいと想像されるが、それでもふるさとへ戻りたいという市民に望郷の思いの強さが感じられる。