燕市・戸隠神社の春季例大祭が14日を宵宮に15日と2日間にわたって行われる。東日本大震災の発生で祭りを彩る万灯組の行事は大幅に縮小されるが、本番に向かって踊り子の練習は続いている。
燕戸隠神社の春祭りの呼び物は万灯と女の子による踊り。それを支えるのが地元の宮町・仲町の木場小路と中央通り1・2・3丁目の横町の2つの万灯組だ。
木場小路万灯組(川上靖夫委員長)は、ことしは東日本大震災の発生で春祭りの象徴といえる万灯を中止した。祭りの花形、踊り子の「お玉」も駅前や通りでの下座をやめ、出番は宵宮の14日だけ。
午後4時半から宿、社務所、宮小路で下座のあと、2班に分かれて右回りと左回りで門付けに回り、木場小路で下座のあと、7時半から神社で参拝。拝殿前で万灯奉納をして終わる。
練習は毎年、日曜から金曜まで6夜連続で行うが、ことしは日曜から4夜。お玉は小学校3年生から5年生までの7人で、新人がなく、いずれも昨年もお玉を務めていることから練習も短縮し、午後7時から8時過ぎまで神社裏の集会所で行っている。
太鼓は1階でたたき、2階で笛を吹き、お玉と例年なら万灯の上で踊るひょっとこ4人と若連中(沖坂正喜総代)。本番2日前の12日は合わせて数十人ほどが集まった。
若連中が木遣音頭(きやりおんど)を取ったあと、お玉が伊勢音頭(いせおんど)にあわせて踊る。お玉は華やかな色の浴衣を着て踊りを繰り返し、日中は気温が上がって夕方から雨が降って蒸し暑く、踊るにつれて顔に汗が光り、後半は窓を開けて練習した。
近所に祭りばやしが響き渡ると我慢できなくなったのか、お玉を卒業した燕中学校の先輩も訪れ、ちょっとうらやましそうに練習の様子を見学していた。
指導者は燕市に生まれ育ち、三条市へ嫁いだ日本舞踊・吾妻流の師匠。お玉にけいこをつけるようになって10年以上になり、子どもだからといって指導に抜かりはない。それはお玉の踊りを見れば素人目にも明かで、踊りの途中に手取り足取り、体重のかけ方も指導する。
「ひじを上げて、ひじを上げるのよ!」、「よーいとな、の意味がわかったんだから大きな声出してよ。かけ声なんだから!」と、祭りばやしに負けない大きな声。お玉との信頼関係ができているので、委縮するようすはなく、お玉の笑顔が絶えない。
けいこが終わると師匠の前に正座して、茶化すように「あーりーがーとーうーごーざーいーまーしーたー!」と間延びしたようなあいさつで頭を下げ、師匠もにっこり。雰囲気は抜群だ。
ことしは規模を縮小するものの、若連中の沖坂総代は「ことし初めて見る人もいますから、来年も見てもらえるように頑張りたい」と気を引き締める。「さまざまな人たちへの感謝と震災で被災した人たちを励ます意味合いも込めて務めたい」と話している。練習は13日夜が最終で、14日の宵宮に本番を迎える。